ひっそりといきづく ふたり かくりされたびょうとう やまねこのなきごえ くまげらのうた かこまれたかんごく あなた かすかにほほえんで なにを、みる? てをさしのべて どこへ、いく? といきがきこえる いのりのことばをわすれても ふれたからだがあたたかい ちのながしかたをわすれても あなたがいる あなたがここにいる 下界から隔離されたような山の中にある、小さな家。 ここへたどり着くことは容易であって容易でない。 ニブルヘイムからロケットポートエリアの方向へ進んでおよそ3キロメートルの地点に その家はある。だが普通に歩いていては家どころか広葉樹の一本すら 見つけることはできない。ニブル山の山道からある地点で横にそれる、 この抜け道を知っていなくてはならない。 しかし、抜け道を自力で見つけ出すことは非常に困難極まる。 今しがたこの抜け道を通っていった男のように、事前に知らされていなければならない。 そこからの道は決して複雑ではない。教えられたとおりに男は山道を進むと、 やがて驚くべき光景に出くわした。 男がこの道を通るのはこれが初めてではないが、それでも慣れない。 荒廃したニブル山の中にぽっかりと浮かんだ聖域。 生い茂った緑、走り去る小動物、鳥の鳴き声。ここは命で満ちている。 しかしどうだろう、豊かすぎる命は、むしろ人を拒絶するのではないか。 荒れ果てたニブル山が人を拒絶するように、この景色は人のつけ入る隙を見せない。 あるいはここに住む者は人を超越した存在なのではないかと。 もしこのような思考に男がなっていたならば男は慌てて村へと引き返していたことだろう。 そしてこの土地を聖域と名付け、もう近づくまいと決意することだろう。 その家は『聖域』のちょうど中心部にあたる。 そこまでの道はチョコボが通るには不自由しない程度にひらかれていて、 十数分も進めば赤い屋根が見えてくる。 男は家の近くの木に乗ってきた山チョコボを固定すると、 荷を担いで玄関の呼び鈴を鳴らした。 そして外に出てきた人物こそ家の主、セフィロスである。 「こんな山奥まで、ごくろうだったな」 訪問者とは四十がらみの男だった。少々くたびれた服装で、 腰には護身用の短銃を下げている。男は「いえいえ」と笑うと、 担いでいたダンボールの箱をセフィロスに渡した。 「最近は山チョコボや川チョコボが普及して、私どもの仕事も楽になりましたよ。 それにしても村の近くにこんな豊かな土地があるなんて、なかなか信じられませんよね。 モンスターもあまりいないようですし、アクセスが悪いことを除けば、 住むのにはよいところですね」 セフィロスは受け取ったダンボール箱の中身を確認する。 中には米、保存食、野菜、医薬品などがぎっしりと入っている。 「レトルトばっかりじゃ味気ないんで、今回はいろいろ入れてみました。 これだけあれば、ひと月くらいはなんとかなりますよ」 男はニブルヘイムの村の運び屋だった。 以前はセフィロス自ら村へ買出しに出ていたのだが、 最近はもっぱらこの男に食料などを運んでもらっている。 セフィロスが礼を言って代金を払うと、男はきょろきょろと小さな家を見回し始めた。 「それにしても、こんなところに一人で住んでいるんですか?寂しくなりませんかね? それとも、恋人かなんかと一緒に住んでいるんですか?」 男が視線をセフィロスの顔に戻したとき、男の営業的な笑顔が凍りついた。 そして自らの軽率さを恥じた。 セフィロスの瞳が先ほどまでは無かった剣呑さを帯びている。 憤りすら伝わってくるようだった。男はセフィロスの正体など知る由もなかったけれど、 かつて「白銀のソルジャー」と呼ばれ恐れられた人物ににらみつけられては、 男は萎縮するほかなかった。 「はは、は……余計な詮索は無しにしましょう。 それじゃ、私はこの辺で失礼しますよ。また、ごひいきに」 男は乗ってきた山チョコボにまたがると、そそくさと帰っていった。 セフィロスは少々大人気ないことをしたと思い、 無意識に刻まれた眉間の皺を指で伸ばした。 ダンボール箱を家の中に運び、 中のものを分類し、野菜などをキッチンの簡易冷蔵庫にしまう。 ひととおりの作業を終えてふと時計を見ると、午後4時になっていた。 特別に理由はないが、彼に会いに行こうと思いたってセフィロスはキッチンを出た。 もともとこの家にはベッドがふたつあった。ひとつは寝室に、ひとつは客人用の部屋に。 客人用の部屋にあったものをこの寝室に運んでからもうひと月になるだろうか。 つまり、彼がここに来てから既にひと月。 寝室のドアの前に立ち、ノブに手を伸ばして、 セフィロスはわずかに逡巡した。先ほどの男の言葉がなぜかよみがえったのだ。 「恋人かなんかと一緒に住んでいるんですか?」 恋人?彼は、自分にとって一体何なのだろう。恋人?かつての宿敵?大切な人? どれをとっても当たっているような気もするし、違っている気もする。 だけど確かなことは、彼が自分という存在に縛られているように、 自分もまた彼に縛られているということだけ。 明確な結論をつけられないまま、セフィロスは寝室のドアを開けた。 窓につけられた生成り色のカーテンがはためいている。 昼間、太陽の光をたくさん取り入れることに成功した部屋はいくぶん暖かい。 セフィロスは自分のではない方のベッドにゆっくりと歩み寄った。 「彼」はベッドの上にいた。あのぬいぐるみを抱いて座っている。 片足を折り曲げて、もう片足を投げ出して。こちらに視線をやるわけでもなく、 何かを話すというわけでもなく、ただ風を感じている。 時折、ぬいぐるみの毛並みをなぜながら。 セフィロスは彼の横に腰を下ろす。 彼の傍らにあったスープ皿が空になっていたことに少し安心して。 「……クラウド」 話しかけても、頬を手で撫でても、髪を梳いても、クラウドはセフィロスを見ない。 まるで目の前の「現実」から目を背けるように。 「……クラウド」 セフィロスはほんの軽く、クラウドの頬にキスをした。 かすかな音をたてて、ゆっくりと唇が離れる。そのとき、 クラウドの頬が少しだけ緩むのが見えた。それがどうしてなのか、 セフィロスには判断できないけれど。 「あったかいね……セフィロス……」 クラウドは、飽きもせずに銀色猫のぬいぐるみをなで続けている。 自分の体温が移ったぬいぐるみを…… クラウドは銀色猫のぬいぐるみを離さない。時折ぬいぐるみに話しかけたり、 笑いかけたりするが、時間の大部分をぬいぐるみを抱いて、 家のどこかで静かに過ごしている。 セフィロスは毎日クラウドに話しかけるが、 無視されることが多い。運良く気づかれても、セフィロスのことが「知らない人」 にしか見えていない。それでもセフィロスはクラウドに話しかける。 すりぬけてしまうことを知っていても。 しかしロケット村にいたときよりだいぶ「まし」になったらしい。 ティファとは時折連絡を取り合っているが、 クラウドの症状を伝えると向こうは随分驚いているようだった。 少なくとも、前のように頻繁にかんしゃくを起こさなくなったし、 セフィロスのことを警戒することもない。 だけど、ティファにもセフィロスにも、ある不安が拭えなかった。 今のひどく不安定な状態、いつか破綻が起きるのではないかと。 そう、セフィロスの本音は不安と焦燥に縛られている。 だけどせめてクラウドの前ではしっかりしていようと、自らを戒めているだけ。 本当は自分が一番狂いたいのかもしれないとセフィロスは思う。 クラウドの変わり果てた姿が少しずつセフィロスを追い詰めていく。 だけど心の底にある奇妙な「あたたかさ」が かろうじてセフィロスを現実に留め置かせている。 セフィロスはあまり眠れなくなっていた。夜ごと、 静かに眠るクラウドの顔をセフィロスはじっと見つめる。 クラウドの頬には涙が筋を作っているのが見えた。 何の夢を見ているのだろう、起きているときは穏やかな表情をしているクラウドが、 眠るときにだけその顔に時折、悲哀の色をうつす。 あるいは眠りの中にいるときだけクラウドは正気に戻っているのかもしれなかった。 また一粒、クラウドの目じりに涙が浮かぶ。 セフィロスは唇で涙をすくうと、クラウドの手を握り締めた。 夢の中にすら助けに行けない自分の非力さをひどくもどかしく思いながら。 頭痛がすると思った。頭の中心に異物感があり、重たい。 さすがに何週間も寝ていないとこの体にもガタがくるのだろう、とセフィロスは自嘲する。 すると、笑みの形をかたどった唇から妙な笑いがこみあげてくるのがわかった。 (まさか、オレは……愉悦を感じている、のか?) 病的に自分を求めるクラウドに対して。自分のことしか頭になくなったクラウドに対して。 大切な人をすべて自分で満たし尽くすということに セフィロスは確かに昏い喜びを感じていた。 だけど、今クラウドをとらえているセフィロスは「セフィロス」ではなかった。 そのことをわかっていたから、セフィロスはこの喜びに 長くとらわれることはなかったけれど。 セフィロスはこの日も眠れなかった。明け方ごろにようやく睡魔がやってきて、 およそ2時間後には目を覚ます。これはいつものことだ。 しかしいつもとちがう下半身の濡れた感触に苦笑が漏れた。 (……そろそろだとは思っていたがな) 嫌な夢だった。抵抗する相手を無理矢理押し倒して貫いた。 クラウドの悲鳴がかすれてすすり泣きに変わってもやめられなかった。 言葉だけの「愛している」を何万回も繰り返しながら。 思い出しただけで吐き気がする。ちがう、オレはそんなことしない、 心で必死に否定しても、身体がどうしようもなく求めているのがわかる。 欲求不満を訴えている。 今のクラウドを押し倒したらどうなるのだろう。 「知らない人」からの行為に抵抗するだろうか。あるいは無表情に受け入れるのだろうか。 きっと、どちらも耐えられない。かといって一人で自慰をする気にもなれない。 夢精するほかなかった。 クラウドの笑顔が見たい、と無性に思った。 ぬいぐるみに向かってじゃない、自分をまっすぐ見て、笑って欲しい。 夏の空の瞳をきらきらさせて、花のほころぶような笑顔。もうずっと見ていない。 「……クラウド?」 ふと、隣のベッドに目をやると、クラウドの姿がなかった。 部屋を見回してみても、見当たらない。 「クラウド」 正体不明の不安感に襲われて、セフィロスはベッドから降りた。 部屋から出てクラウドを探す。リビングにもキッチンにもいない。 次第に強くなる不安感を抱えながら、セフィロスは家中を探した。 「クラウド……クラウド」 小さな家の中どこを探してもクラウドはいなかった、 それでもセフィロスは呼ぶ声を止められない。呼ぶ声、 といってもそれはほとんどつぶやくくらいの声量しかなかったけれど。 「クラウド、クラウド、クラウド……」 ふらふらと覚束ない足取りでセフィロスは外に出た。 はたしてそこに求める人はいた。寝たときの下着姿のままで、 銀色猫のぬいぐるみを抱きかかえてライフストリームの泉のそばに佇んでいる。 「クラウド……」 クラウドを見つけても、セフィロスの中の不安感はなぜか拭えなかった。 そしてクラウドの顔を見たとき、その理由の片鱗を何となく理解した。 クラウドは、普段の穏やかな表情ではなく、ひどく無機質な顔をして、 泉のなかをじっと見つめている。 きちんと食べているのに、どこか面やつれて見えるのは果たして気のせいだろうか。 「……そこは、危ない。……帰ろう」 セフィロスが話しかけると、ぴくりと反応した。 「おじさん?」 クラウドから無機質な表情は消えたが、今度はよくわからない、 といった風情で首をかしげている。 「あれ?俺、なんでここにいるの……」 「…………」 「たしか、セフィロスを追いかけてたの。そしたら、いつのまにか…… あれ、セフィロスはここにいるのに、なんで?」 「…………」 クラウドは不思議そうに、決して自分から動くはずのない 銀色猫のぬいぐるみに話しかけている。セフィロスは厳しい表情を崩せないまま、 「帰ろう」と手を差し出した。 クラウドと手を繋いで家に入る。 握り締めた手は、破綻の前兆を示すかのようにひどく冷たかった。 ある日の夜、セフィロスはクラウドを風呂に入れた。 いつも濡れたタオルで体を拭くだけではかわいそうだと思って、 週に1度くらい髪や体を洗ってやる。 そのときばかりは銀色猫のぬいぐるみを手放さなければならないから、 クラウドはひどく風呂に入るのを嫌がるのだけど、その日はなぜかあまり抵抗しなかった。 けれど、洗い終わるが早いか濡れた体のままぬいぐるみのところに駆け寄っていくから セフィロスはあまり気にしてはいなかった。 「セフィロス?セフィロスの手ってさ……ちょっと冷たいよね。 ううん、それが嫌なわけじゃないけど……でも俺、どっかで聞いたの。 手の冷たい人は、その分、心が温かいんだって。 俺はね、セフィロスは心があったかいと思うよ。 ザックスなんかは笑って否定すると思うけど、でも、俺だけは、わかってるからね……」 今日のクラウドはしきりに銀色猫のぬいぐるみに話しかけている。 セフィロスは自分のベッドに座ってそれを眺めている。 セフィロスは頭痛薬と睡眠薬を飲んだ。この身体に薬はあまり効かないが、 クラウドのためにも、自分の身体を大切にしなくてはいけないことを セフィロスは知っていたから。 それと同時にセフィロスは胸の感情に疑問を持つ。 不思議なことに、身体はつらくても、心のどこかでひどく穏やかな自分がいる。 不安は確かに強い。けれど、どんなに苦しくても、胸の中にはいつも、 じんわりとした温かさがひっそりと存在していて、クラウドの名を呼ぶたびに、 その温かさの存在を確認することができる。 やはり、クラウドが自分の影に囚われていることをどこかで喜んでいるのだろうかと思ったが、 今一度否定した。 (そうじゃない、オレが、嬉しいと思ったのは……) (……そうだ。それは、オレがクラウドに会おうか迷っていた理由) 結論を出そうとしたが、セフィロスは強い眠気に襲われた。 次第に視界がぼやけてくる。薬が効いてきたらしい。眠ろうか、と セフィロスは横になった。考えることは後でいくらでもできるのだから。 「……、…………。セフィロスって、俺のことどう思ってるの? うん、すごく、今さらなんだけどね。でも、時折、不安になること、あるから…… すごく恥ずかしいけど、言うね。俺は、セフィロスのこと、大好きだよ。 だからね、……だからね、セフィロス、俺のこと、……愛していて欲しいんだ」 クラウドはおもむろに右手を振り上げて、ぽす、と銀色猫のぬいぐるみを叩いた。 柔らかい銀色猫のぬいぐるみは、少しだけその形をゆがめた。 「ちゃんとお返事しなさいっ」 その言葉は、セフィロスの耳に聞こえることはなかった。 クラウドが泣いている。 うずくまって泣いている。 寒いと言って泣いている。 『泣かないでくれ……クラウド』 温めてあげたくて手を伸ばす。 けれど手は虚空を掻くばかり。 どうしても触れられない。 どうしても届かない。 届かないのが神の与えた罰ならば。 自分はいかほどにでも責められていいから。 『どうか泣かないでほしい……』 クラウドが泣いている。 うずくまって泣いている。 あなたがいない、と泣いている。 深夜。泣きじゃくる声でセフィロスは目を覚ました。 いつものように夢を見て泣いているのだろうと思ったが、 かすかな言葉も聞こえてくるので、どうやら起きているらしい。 訝しんでセフィロスは起き上がり、目をこすりながら隣のベッドを見ると、 クラウドが上体だけ起こして、くすんくすんとすすり泣いていた。 「……どうかしたのか?」 答えを期待してはいなかったが、とりあえずセフィロスは問いかけた。 するとクラウドは、無視はしなかったようだ、泣きじゃくる合間合間に言葉を紡いだ。 「セフィロスが……いないの」 「いない?」 セフィロスは眠気を追いやっていくらか頭の中を明瞭にさせてから クラウドの周囲に目をやると、銀色猫のぬいぐるみはクラウドの傍らにちゃんとあった。 しかしクラウドの目には入ってないようだった。 「セフィロスが、どこにも、いないの」 セフィロスは泣き続けるクラウドを確かな胸の痛みと共に見て傍に寄ると、 銀色猫のぬいぐるみを抱き上げてクラウドに向けて差し出した。 しかしクラウドはそれを力いっぱいに振り払い、急にセフィロスにつかみかかった。 「あなたが、あなたがセフィロスをどこかにやったの?俺からセフィロスを奪ったの!?」 クラウドがこれほど声を荒げるのはひどく久しぶりだったから、 突然のことにセフィロスは驚いた。同時に、とうとう破綻が起きたのだと直感した。 クラウドは泣きながらものすごい形相でセフィロスをにらみつけた。 だがその焦点はセフィロスを見ているようで、もうどこにも合っていない。 「お願い、セフィロスを返して!ねえ何でもするから、ひとりにしないで! 大好きなの。離れたくないの。どうして奪うの?他はどうなってもいいの、 俺は、セフィロスだけ欲しいの!このままじゃ、目がひからびちゃう、耳が腐っちゃう! セフィロスがいないと、もう、駄目なのぉ!」 「クラウド」 「セフィロスがいないなら、もう 生きてる意味がないの!殺してよ!殺して!俺を殺してよ!!!」 クラウドは狂気的なまでに、シーツを波立たせ激しく暴れ始めた。 さらに爪で自分の頬をかきむしろうとした。 慌ててセフィロスは両手首をつかみ制止させると、少々強引にベッドに押し付けた。 なおも叫び散らそうとするクラウドの口をセフィロスは自身の唇でもって塞いだ。 意識を薄れさせるほどの深いキスを。始めは苦しがって激しく抵抗し、 どちらかの口の中が切れたのかキスは血の味がした。それはさながら嵐のようなキス。 10分、20分もするとようやくクラウドは少しずつ気力を失っていき、 涙を流し続けながらも徐々になすがままになっていった。 大分おとなしくなったのを見計らって、セフィロスはゆっくり唇を離した。 そして、とめどなく涙を流し続けるクラウドをできる限り優しく抱きしめた。 セフィロスは敢えて何も語りかけることはしなかった。 どうしたらクラウドの破綻を止めることができるのか セフィロスにはわからなかったけれど、 抱きしめること以上に雄弁な手段をセフィロスは持っていなかったから。 しばらくの間、部屋にはクラウドのしゃくりあげる音だけが響いた。 (破綻は……いつか起きると思っていた) 苦しそうに上下するクラウドの背を撫でながらセフィロスは思う。 (オレは…何をした?何ができた?何もしてやれなかったじゃないか……) 自分の力のなさに自嘲の笑みすら出てこない。所詮英雄などとは飾りの称号に過ぎない。 大切なひと一人救うことができないのだから。 同時に、どうしようもないほど強く、 行き場のないクラウドへのいとおしさを感じて、 セフィロスはただ静かに奥歯をかみしめた。 「…………か?」 どのくらい経ったころだろう。クラウドはぽつりぽつりと声を漏らし始めた。 「求めすぎたから……罰を受けたのですか」 今までとは明らかに違う声音に、セフィロスはクラウドを見た。 けれど、クラウドの濡れた瞳は虚空を見つめたまま動かない。 「どうして……ころさなければならなかったのですか」 「……クラウド」 「あいして、いたのに」 かみさま、と弱弱しくつぶやいたのを聞いてセフィロスは気づく。 クラウドが見ているのは虚空ではない、もっと上であることを。 こらえきれずにセフィロスは語りかけた。哀願するように。 「クラウド……神はなにも答えない。神はなにも語らない。 ………だからどうか、オレを見てくれ。ここにいるオレを。 どうかオレを………」 救済してくれ、と、もう一度深く口づけた。舌を侵入させ絡ませると、 意外にもかすかに反応が返ってきた。 そのことがセフィロスの、 今まで散々抑えつけられていた欲求の「たが」をはずさせた。 もう止まらなかった。クラウドは誰にキスされていると思っているのだろうか、 ふとそんな疑問がセフィロスの脳裏をよぎったが、 セフィロスは自分の行為がとうに制止できないものであることを理解していた。 申し訳程度に身につけていた互いの下着をもどかしく取り去る。 生まれたままの姿になると、クラウドの首筋に顔をうずめて、 強く吸い上げるとほのかに痕が残った。同じように、鎖骨に、胸に、脇腹に。 両手は艶めいた肌を幾度も撫で擦りながら、 まるで失った感覚を取り戻そうとするように。 あまりに激しい愛撫にクラウドは眉根を寄せて吐息を熱くさせ、身をよじらせる。 確かに通じている。そのことが嬉しくて、セフィロスはまたクラウドに口づけた。 今度は先ほどよりもはっきりと、クラウドが舌を絡ませてくる。 口腔を舌でくすぐり、吸い上げて、互いの唾液を交換し合う。 「……っ、は……ん」 息が苦しくなってセフィロスがわずかに唇を離すと、 すかさずクラウドが唇を押し付けてきた。もっと、と親を求める小鳥のように。 それに答えるように、よりいっそう情熱的なキスを交わす。 何度も角度を変えて、唾液をはじけさせて、漏れる吐息すらすくいとるように。 そうしているうちに、いつしかセフィロスの右手がクラウドの中心の器官をとらえた。 そこはまだ柔らかさを保っていて、つつましく息づいている。 セフィロスは思う、クラウドという人間の中で、 この器官がとりわけ愛しいと感じるのはなぜなのだろうと。 きっと、クラウドの強さや脆さ、美しさや醜さをどこよりも体現している器官だからだ。 セフィロスは顔を近づけて、あまりにも懐かしい、その香りを確かめる。 そして、先端に舌を這わせた。 円にあるいは螺旋に舌を蠢かせると、やがて尿道口から透明の清水が浮かぶ。 それを確認すると、存分に舐めて味わってから、カリ首の部分を口に含んで吸い上げた。 「あ……」 初めて、クラウドが喘ぎ声を発した。 それを受けて、セフィロスはよりいっそう激しく舐めずり回す。 クラウドは体をわななかせて、空を掻く手がセフィロスの銀髪をつかみ、握り締めた。 「あ……ああ、あっ…あっ、あっ…あぁ」 切なげな吐息の合間に潤んだ喘ぎを漏らす。 徐々に四肢がこわばり、髪を掴んだ手の力が強くなっていく。 限界が近いことを悟ったセフィロスは質量の増したそれを喉の奥深くまでくわえ込み、 頭を動かし、口の中で舌も動かし、激しく快感を与える。 クラウドの身体が痙攣を始め、喘ぐ声のトーンがいっそう高くなる。 そして最後に達するとき、クラウドは無意識に叫んでいた。 誰よりも愛しい人の名を。 口の中に勢いよく精液が放出される。 その生臭さがセフィロスは何よりもいとおしいと思った。 世界中どこを探しても、これほどまでに甘い蜜は存在しないに違いない。 一滴も逃したくなくて尿道に残った精液を吸い上げて舐め尽くすと、 クラウドの身体はぶるぶると震えて口からは甘い声を漏らした。 クラウドの顔を見ると、紅潮した顔、瞳を閉じて、 陶酔したように唇を薄く開き呼吸を整えている。 頬の涙の跡だけが痛々しい。セフィロスはクラウドに覆いかぶさり、 額に、まぶたに、頬に、唇に、幾度も触れるだけのキスを落とした。 そして、胸の中心、ちょうど心臓の上あたりに耳をあててみた。 とくとくと、そこは規則的に律動をしている。 それはクラウドが、確かに生きているという証明。 『ひとの身体ってすごいよね…こうやって、胸に耳をあてるだけで、音が聞こえるんだ』 『セフィロスの胸の音が、俺は好き。とても安心するから。眠る前にはいつも聴いていたい』 ようやくセフィロスは、自分の胸のなかに常に存在していた温かさの正体を理解した。 どんなになっていてもいい、気が触れていてもいい、 クラウドが生きていてくれたこと、それだけで、セフィロスは嬉しかったのだ。 自分自身が過去の罪に苛まれても、生きているクラウドに会いたかった。 クラウドのそばにいたかった。それがティファを呼んだ理由。 そしてセフィロスは、こうしてクラウドの元に帰ってきた。 瞳を閉じて、セフィロスはじっと、クラウドの鼓動に聴き入っている。いつまでも、そうして。 「誰……?」 しんしんと静かな部屋。ほんのちいさな声で、つぶやいた。 まぎれもない、クラウドの声。 「俺を抱きしめているのは、誰……?」 セフィロスは思わずクラウドの表情を確認した。 だけどやはり、クラウドには目の前の人が誰なのかわかっていないようだ。 正気なのか狂気なのかもわからない。 それでもセフィロスは、今持てるすべての感情をこめて、答えた。 「おまえにすべてを捧げてしまった、愚かな男だ」 クラウドの手をとり、しっかりと自分の頬に当てさせる。 目に見えるものは信じなくていいと言うように。 その瞬間、クラウドの身体は電気が走ったようにぴくりと震えた。 「恋しさ故に死に損なった、実に愚かな男だ」 「…………」 おずおずと、クラウドがもう片方の手でもセフィロスの頬を包み込む。 まるで目の見えない小動物のように、不安げな手つきで、セフィロスの顔をなぞる。 ゆっくりと。 そのとき、クラウドの瞳から、また、涙がひとしずく、こぼれた。 「…………?」 ほんとうに、ほんとうにかすかな声だった。 セフィロスに聞き取れたかどうかわからない。 だけど、セフィロスに向かって、ようやくその名を、口にした。 それだけは、セフィロスにはわかった。 セフィロスは微笑んで、だけどきっと泣きそうな顔をしていただろう。 ゆっくりと頷いて、万感の思いでクラウドをきつくきつく抱きしめた。 もうこれ以上離れることがないように。 背がしなるほど抱きしめられながら、クラウドは大粒の涙をこぼして、 とろけるような微笑を浮かべた。 「……あぁ…………あなた、だ……」 「クラウド」 クラウドはセフィロスの背中にゆっくり片方の腕を回して、抱き返した。 銀色猫のぬいぐるみを抱いたのと同じ腕だけれど、これ以上はない感慨を込めて。 「クラウド」 「やっと、会えたね……やっと……」 「クラウド」 手と手を重ね合わせて。互いの足を深く絡め合わせて。 もうどんな体勢になっているのかわからない。 けれど、できうる限り近づきたかった。 少しでも離れたらきっと寂しさで死んでしまうと思った。 もっと感じたい。感じていたい。熱い体温。脈打つ鼓動。生きている証。 「愛していると……言っていいか」 「……お願い」 「愛している……愛している、クラウド」 クラウドが体を震わせる。セフィロスの肉声を身体に刻み込むように。 「もっと、……言って」 「愛している、愛している……」 クラウドの顔が見たくなってセフィロスは抱き合った身体を少しだけ上げた。 するとクラウドがセフィロスの頭を引き寄せて、その目元にそっとキスをした。 「…………きれいな涙」 そのとき初めて、セフィロスは自分が泣いていることに気づいた。 セフィロスは瞳を閉じる。落ちた涙が、クラウドの涙と混じりあって頬を流れた。 「この涙のように、俺たちも混じりあうことができたらいいのに。 そうしたら絶対に離れないのに。でも、決して混じりあうことはできないから、 俺たちは繋がろうとするんだね」 「……そう、だな」 「ひとつに繋がろう……セフィロス」 やがてひとつに重なってゆくふたりを見守るのは誰だろうか。 あるいは、それは神なのかもしれないが、神はふたりを救済しなかった。 なぜなら、まぎれもないふたりこそが、互いの救済者であったのだから。 |