蹉跌までの道W

「お〜い、ク・ラ・ウ・ド!」
昼休み。ビルの屋上でひとりぼーっと空を眺めていた。 膝の上には半分くらいしか手をつけていないお弁当が乗っかっている。 声をかけつつ近寄ってきたザックスがひょいと背後からクリームコロッケをかっさらう。
「下の奴らから聞いたぞ。おまえ、最近うわの空だって」
「……うん……」
やっぱりどこかうわの空で相槌を打って、 さっきから指先でもてあそんでいたミニトマトをかじる。 ミニトマト特有の酸味は好きだった筈なのに近頃はあまり味がしない。
「どーせ旦那のことだろ?いいねー若いって」
ザックスの軽い口調に、クラウドは拗ねたように睨み付ける。 でもザックスらしい大らかな笑顔ではね返されて、 物憂げにため息をつくと不安げに口を開いた。
「俺……セフィに嫌われたんだと思う……」
「へ?何で?」
「このあいだ……セフィの家、追い出されたんだ」
爆弾発言にザックスが本気で転びそうになる。
「クラウド、…嘘はよくない」
「………本当だよ」
クラウドはすっかり俯いてしまって、その消え入りそうな声に、 流石のザックスも顔色が変わった。
「……追い出される心当たりは?」
クラウドは首を横に振る。
「わからない……セフィの家に泊まったはずなのに、朝起きたら、寮の部屋だった」
「旦那が寮まで運んだのか?……いや、たぶんデジョンを使ったんだろうな」
「それっきり……連絡も何もなくて。いつも週末になると会いに来てくれたのに……」
「ずっと会ってないのか?」
その瞬間、クラウドの表情が僅かに強張るのをザックスは見逃さなかった。
「話してくれないか?何があったんだ」
「………講義が終わって移動してるときにね、一度だけ……すれ違ったんだ」
話すうちにクラウドの声と瞳が、少しずつ揺れ始めてくる。
「………目を、逸らされて…ね、……まるで俺のこと、見えてないみたいに……」
「…………」
「なんだか、すごく……胸が、…痛くて、俺は会いたくて…仕方なかったのに…… ね、俺、馬鹿みたいで………」
「…ほら、クラウド」
ザックスがポケットからハンカチを取り出して差し出すと、 受け取ったクラウドはそれで両目をぐいっと押さえた。
「やっとザックスが女の子に人気あるの、わかった気がする」
「お、惚れたか?」
「もう!」
潤んだ瞳のままでクラウドに拗ねられて、 これはセフィロスじゃなくてもやぶさかじゃない気分になるなと舌を巻いた。 その一方でザックスはどうにか冷静に思考を働かせようとする。
「…クラウド、あのな…」
「………うん」
「旦那な、最近……イラついてるみたいなんだ」
「セフィが……?」
「…その所為かもしれねえ」
クラウドの表情が不安げに翳る。セフィロスが一体いつからそうなってしまったのか クラウドにはわからないけれど、何も気づけなかった己が悔しかった。 確かにソルジャーのザックスとは違い、クラウドにはセフィロスとの接点は何も無い。 でも、何だか自分がのけ者になってる気分で。
「俺、セフィのこと何にも分かってないんだね……」
クラウドの言葉にザックスが少し呆れたように目を丸くさせる。
「おいおい、まだ両手で数えられるくらいしか会ってないんだろ? いきなり分かる訳ねーよ、ただでさえ旦那は感情が顔に出ない人間だ、 おまえが気に病んでもしょうがねえだろ」
「うん……」
すっかりしょげてしまった仔チョコボのトサカをザックスはぽふぽふっと叩いて、 いつもの笑顔で励ます。
「これからちょっとずつ分かっていけばいいじゃん、な!とりあえず俺は、 旦那に渇入れてくらぁ。クラウド泣かせたらおにーさん黙ってないよって」
少し勇気付けられたのか、クラウドは涙目のまま、少々無理やりに笑顔を作った。
「……ごめんね」
「ばか!そういうときは『ありがとう』って言うの!」
軽くデコピンをお見舞いして、ザックスがしっかりした足取りで戻っていく。 最後にもういちどザックスが手を振って、そしてドアが閉まるのを見届けると、 クラウドは改めてザックスという友人に巡り会えた幸運を噛み締めていた。
一方セフィロスの執務室は至上最悪の大寒波に見舞われていた。 およそ10日あまり前より突然の氷河期に突入した執務室、 その静かなブリザードは日に日に酷くなるばかりで同室のソルジャー達は その歴戦の体躯を縮こまらせながら原因不明の嵐が過ぎるのをただただ心待ちにしていた。
セフィロス自身が自らの変調を自覚した時期は以外にも遅かった。 周りがセフィロスを畏怖するあまり何も指摘して来ない為、 すれ違う人間がみな青ざめて鳥肌を立てる原因が自分であることにしばらく気づかなかった。 とはいえ気づいてどうにかなるものでもなかったが……
幾度と無くPCから鳴るエラー音が耳に障る。 普段なら決して間違えないようなプログラムでもミスを連発し始めたことが セフィロスの機嫌をさらに悪化させていた。 キーボードが割れんばかりにエンターキーを叩く音が室内に鳴り響くが、 セフィロスはそれに気づいていない。気づく余裕が無い。それこそが変調の証明でもあった。
何度目かのエラー音が鳴ると、一度軽いため息をついて、セフィロスは席を立った。 そのまま執務室を出て行ったのをソルジャー達が見届けると、 ここぞとばかりにヒソヒソと話し始めた。
「助かった……一時的だけど」
「たまったもんじゃないよな。日を追うごとに悪化してる」
「……ホント、セフィロス何があったんだ?」
「おまえ訊いてみるか?」
「冗談!石化されたくないね」
「でもそれじゃあ対応のしようもないだろ」
「打開策があるとすれば……あのハリネズミだな」
「……ザックスか……」
「頼んだぞザックス…骨は拾ってやる……」
フロアにひとつ設けられた休憩スペースには、今の時間帯ひと気は無い。 紙コップに注いだブラックコーヒーを一気にあおるセフィロスの背中に向けて、 渦中のハリネズミは声をかけた。
「よ、寒気団。ちょうどよかったぜ、あんたに用がある」
威圧感を放つ背中をものともせず、ザックスがずかずかと歩み寄ってくる。
「プライベートの問題で仕事に支障をきたすなんて、氷の英雄が、らしくないな?」
「昼休みは終了している筈だが」
「ク・ラ・ウ・ド」
拒絶の言葉を押さえつけるようにザックスはその名前を出した。 その一言で、ぴく、と僅かに、ほんの僅かに背中が揺れた。 セフィロスの表情が変わったことを、ザックスは確信する。
「落ち込んでるよ、あいつ。あんたに嫌われたと思ってる」
「……それならそれでいい」
無味乾燥に言い放つ。だがザックスは「はったり」だと決め込んだ。
「あんたは全然よさそうに見えないけど」
「何が言いたい」
セフィロスが怒気をはらんだ低い声を出す。だがザックスはこの程度では怯まない。
「あんま横ヤリいれるのどうかと思ってたんだけど。そろそろ俺、見てらんなくなったんでな」
「久しぶりに顔を見せたと思えば……」
ぐしゃっと紙コップを握りつぶした。明らかに平常心を失っている。
「いつまでも背中向けてんなよ、セフィロス」
セフィロスの肩を力ずくで掴むと、ぐいっと強引にこちらを向かせた。
「……っ」
「…そんな目しやがって……」
気まずそうにセフィロスが目を逸らす。何処か悔しげに唇を噛んでいる。 そのあまりに人間臭い表情にザックスは内心かなり驚きながらも、追求は緩めない。
「なあ、会う気がないなら、クラウドにちゃんと説明してやれよ。理由を言ってから別れろよ」
「……駄目だ」
「クラウドが可哀想だと思わねえのか?」
「駄目だ。駄目なんだ……」
セフィロスは何度もかぶりを振る。微かに碧の瞳にやるせない色が浮かんだ。 心にヒビが入ったみたいで、無意識に胸を掻きむしる。 ここ数日押さえつけていた感情が、 ザックスのせいで亀裂から少しずつ漏れ出しているのが判った。
「こんな凶暴な想い、知られたくない……」
「旦那……?」
セフィロスのこんな表情を見るのは、初めてだった。それは喜んでいいのか、どうなのか……
「クラウドの全てをオレだけのものにしたい」
言葉が零れてしまう…そう思ったときには既に吐露していた。
「オレの腕の中にだけ閉じ込めてしまいたい……オレ以外見えないように、 オレのこと以外考えられないように……」
あまりに身勝手な欲望……嫌悪感に頬が歪むのをセフィロスは止められない。
「そのためなら、……オレはどんな酷い行為も厭わない」
「…あんた……」
今まで何に対しても、執着らしい執着ができなかった氷の英雄、 彼が初めて本気で欲しがったもの……それはまるで反動のような底無しの欲求。 ザックスは咄嗟に二の句がつげなかった。 その反応を見て、セフィロスはさもありなんと押し殺した声で笑う。
「さぞ幻滅しただろう?これがオレの本心。 オレの頭の中でクラウドがどんな惨い目に遭わされているか、あの子が知ったら……」
不意に、少し俯いたままセフィロスは遠い目をした。自嘲のように見えたが、何処か淋しそうに。
「それでも…オレは、……あの子に忘れられたくないんだ」
「…………」
ザックスには、何となくわかってきた。何となくだが、少しだけ、わかった気がする。 セフィロスは、…ものの愛し方を、誰にも教わらなかったのだろう。 愛しい者をどれだけの力で抱き締めればいいのかすら、この英雄は知らない。
「…なあ……セフィロス」
ザックスには……それが不憫でならなかった。
「それで……どうなった?…あんたの心は……」
ザックスの言葉は、核心を突く。……10日あまり。クラウドと会わなくなって、10日。 日に日に、心が凍りついてくる……視界が薄墨色にくすんで見える。 白と黒と灰色の世界で、いつもその姿を探し求めていた。 あの子の存在だけが、この世界に色を戻してくれるのだと……
「………声が、聞きたい……」
長い沈黙の後、ぽつりと、力なく呟いた。そのひとことで充分だった。 ザックスは思った、それは恋煩いの男というよりは、母親を恋しがる子供のようだと。
「……俺もあんまり、えらそうな口聞けたもんじゃないけどな、セフィロス……」
まさか自分がこうしてセフィロスにアドバイスをする日がこようとは。
「時間、かけろよ。自分の中のケモノ、押さえつけれるようになるまで」
子供のよう――か。ああ、確かにそうかもしれないな、とザックスはひとりごちる。 衝動を抑えきれなくて、吐き出し方もわからずに、ただ泣き喚くことしかできない子供……
「プライベートで会うのが怖いなら、ミッションに連れてくのでもいい。 自分付きの下士官にさせるのでもいい。会わないのは逆効果だ。半歩ずつ、すり足で近づけ。 そのうち、接し方がわかるようになる。なあ、ホントは嫌われたく、ないんだろ?」
そう言われたセフィロスも、まるで物を知らない子供が大人に教えてもらっているようだと、 ザックスと似たような事を思う。だが事実だ、自分は何も知らない。何もかも 、これから知るしかない。
「…ミッション……か……」
セフィロスは先日辞令を出されたばかりのミッションのことを思い出した。 小規模のもので、人員構成はソルジャー2名と一般兵2名。 この際いっそ職権を濫用してみるべきか……
「……ザックス。直ぐに辞令が行くと思うが、差し当たりクラウドに言付けを頼んでいいか」
「おあつらえ向きのミッション?」
僅かばかり落ち着いてきたのだろう。セフィロスの眼光に少しだけ力強さが戻り、軽く頷いた。
「ニブルヘイムの老朽化した魔晄炉の調査だ」


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