5.新月 その翌日、二人がルックの部屋で昼食をとっているとドアからノックの音が響き、返事をする暇も置かずに扉が開けられた。 このように無作法な扉の開け方をする人間は残念ながら多い、といってもセフェリスもルックも人のことを言えないのだが。 「ああ、マクドールさん!ここにいたんですね」 「クラリス。なにか用事でも?」 行儀の悪い軍主ことクラリスは、セフェリスを見つけると無邪気に破顔した。セフェリスはクラリスによく懐かれている、 常に尊敬の目で見られ、戦いや火急の用でなくとも声をかけられることはしょっちゅうだった。 「今から交易でグレッグミンスターまで行くんですけど、よかったらご一緒しませんか?」 クラリスの口ぶりからすると、どうやら強制的なものでないようだ。そう判断すると、セフェリスは申し訳なさそうに頭を下げた。 「……ごめん。ぼくは城に残ってていいかな」 「帰らないんですか?」 クラリスが意外そうな声を出す。セフェリスは隣のルックをちらと見やり、再度クラリスに向け謝った。 「うん、悪いけど……今は、ルックを独りにさせたくなくて……」 「そうですか、わかりました。じゃあ行ってきますね!」 その目配せの理由にも気づかなかったのだろうか、クラリスは良く言えば快活で、悪く言えば無知な雰囲気を纏いつつ部屋から出て行った。 ドアが閉められるや否やセフェリスは足に激痛を感じて小さく悲鳴を上げる。ルックがセフェリスの足を強かに踏みつけたのだ。 慌ててルックの顔に視線を移すと、彼はほのかに頬を紅潮させてセフェリスをねめつけていた。 「ルック?…ぼく、なにかいけないことしたのかな……」 「…もうちょっとマシな言い訳考えられなかったわけ?」 要するに、二人の関係をほのめかすような言い訳の台詞がルックの気に召さなかったらしい。 色恋沙汰に疎そうなクラリス本人は気づかなかったようだが、彼の伝聞から誰かが知ってしまう可能性もありうる。 「恥ずかしいの?」 「そうじゃない。噂でも広がったら面倒だろ」 ルックはそう言うが、色味を増した頬から察するに羞恥の念もあるに違いない。セフェリスは思わずくすりと笑った。 こんな人間らしい仕草を見つけるたびにルックへの愛しさが重なっていく。 「別にぼくはいいと思うけど。だってみんなわかってくれるでしょ?ルックでもちゃんと人を愛せるんだよって」 随分と失礼な物言いだ、しかし不思議とルックは不快感を覚えなかった。赤くなった顔をごまかすように毒づくが、 既にそれは毒ではなくなってしまっていて、余計にセフェリスを喜ばせるばかりだった。 「……もう、ほんっとに………バカ」 今日もやはりセフェリスは屋敷に帰って来なかった。もう何日セフェリスのいない夜を過ごしているのだろう。 もう何週間、もう何か月…?グレミオのなかでは時間の流れがおかしくなってしまったようで、 時折カレンダーを確認しなければならないほどだった。 夕食が終わり、グレミオは厨房で洗い物をしていた。僅か三人分の食器。 テオやテッドがいたあの頃を思うと随分淋しくなってしまったな、とふいに感じた。そんな彼に背後からクレオが声をかける。 「グレミオ」 「クレオさん……」 振り向いたグレミオの顔色が随分と悪い。いや、この頃は顔色が良い時を探すのが大変なくらいだ。 「体調、良くないみたいだね。相変わらず食欲もイマイチみたいだし。皿洗いくらい、後は私がやろうか?」 「いえ、大丈夫です。もう終わりますから」 再び皿洗いに戻ったグレミオの背中をクレオはしばし見つめ、数瞬が経ち、やがて口を開いた。 「…今晩の夕食。パーンが首を傾げてたよ。私もちょっと前から気になってたけど……少しずつ、味付けが濃くなってる」 グレミオは作業を続けたまま、小声で「ばれちゃいましたか」と呟いた。 その背中が、クレオにはとても頼りなく見えて、今にも崩れ落ちそうで、危なっかしくて。 「……すみません……最近、ほとんど食べ物の味がしないんです…… 料理は好きだったはずなのに、近頃はなんだか億劫に感じてしまって……」 「ぼっちゃんに食べてもらえないから…か?」 最後の一皿を洗い上げ、グレミオは手を拭きながらこくりと頷いた。すると何を思ったか、窓の方へ向かう、静やかな苦笑を湛えたまま。 「ふふっ……私のモチベーションって、そうだったんですね。全部が全部、ぼっちゃんの為だったんですね。 ホント、駄目ですね、私……あの方が傍にいないだけで…こんな………」 グレミオは窓から天を見上げる。クレオもまた窓際に寄ると、今宵は新月だと気付いた。 「私は…月なんです。自分では光れない……ぼっちゃんという、まばゆい恒星に照らされて初めて輝くことが出来るんです。 だから…ぼっちゃんがいないと、私は唯の岩の塊になって……存在すらも忘れられてしまう……」 ぼっちゃんに、逢いたい……そう囁いて、見えない月を探るように夜空に目線を泳がせるグレミオ。 そんな彼の頬をつたう一筋の涙を見たクレオはたまらなくなり、グレミオの肩をきつく掴み、語気強く訴えた。 「グレミオ。次にぼっちゃんが帰ってきたらすぐに、伝えるんだよ。一緒にいたいんだって、伝えるんだよ…!」 じゃないと、あんた、壊れちゃうよ……言うに言えない最後の言葉は、懸命に噛み殺した。 言霊の持つ恐ろしさを、彼女はよく知っていたから。今のグレミオは氷の彫像を思わせる。 言ってしまったら最後、本当にグレミオが壊れてしまいそうだったから。 けれど氷は砕かれずとも、時が来れば自然と溶けてしまうものだ。クレオは危機感を募らせる。このままでは、いけないのだと。 or 目次に戻る? |