4.愚行 新同盟軍にてルックにあてがわれている部屋は、狭いながらも立派な個室だ。 よほどの主要人物かよほどの事情が無ければ通常個室を持つことは出来ないのだが、 ルックの場合は彼自身が個室を持ちたがったわけではなく、 誰もこのミステリアスでどこか空恐ろしさすら感じさせる少年と部屋を共有する勇気を持てないがゆえのことだった。 「このお茶、すごくおいしかった。ヨシノさんが淹れてくれたんだっけ」 「そうみたいだね」 ある夜、ルックは食事の後に帰ろうとするセフェリスを引き留め、部屋に招いた。その意味を、 セフェリスはうすうすと知ったうえでルックについていった。サイドテーブルに空になった湯呑みを戻し、 二人は寝台に座ってとりとめのない話をした。セフェリスが話題を提供し、ルックが短くそれに応えている。 「ヨシノさん見てるとセイラさんを思い出すよ。たまにマリーの宿屋に行くとよく会うんだ」 「…暇人だね、あんたも……」 そんなやりとりを小一時間ほど続けた頃。セフェリスはほんの少しためらってから、ルックの顔を覗き込んで、ひとつ訊いた。 「ねえ……ルックってさ、いくつになった?」 「……17」 そう振られた途端にルックが不快げに眉根を寄せる。その話題には触れたくないと無言のうちに訴える。 セフェリスはそれを承知しつつもルックの相貌をじっと見つめる、穴が開きそうなほどに。 なぜなら自分たちの絆をもう一段高みに上げる為には必要なことだとセフェリスは信じていたから。 「ぼくと一緒だね」 「…………」 ルックはおもむろに顔を伏せた、さらりとした横髪によって表情が隠される。 しかし膝上の手に力が籠もり、清水に汚濁が混じったような苦い心境は察することが出来た。 「ぼくも17歳。でも…背もこんなに低くて、顔も幼くて、とてもじゃないけど17には見えない。ぼくと、一緒だね…ルック……」 堪えきれずにルックはセフェリスの顔を睨みつける、しかしそうすることで否応なしにセフェリスの瞳の色が見えて、 ルックにとってそれはまさに火に油を注ぐようで、遂には激昂した。 「ふざけるな!!」 「ルック…」 セフェリスはほんの少し目を見開いただけで、ルックの癇癪に対してもさほど動揺しなかった。 それが余計にルックの気に障り、氷のように冷ややかにセフェリスをなじった。 「…ふぅん、そう。そんな目でぼくを見てたっての?不老の身体、強大な力、それゆえの定め。 自分と同じ境遇の可愛そうな子を、憐れんで、同情したから、しきりにぼくに優しく優しく構いたがってたわけ?」 「うん。そうだよ」 「……っ」 ルックの皮肉めいた言葉にも塵とも動揺しない。さも当然のように頷いてみせた。 そんなセフェリスからいつしかルックは視線を外せなくなっていた。蜘蛛の巣にかかった蝶、まさにそんな状態で。 「ぼくにはね、ルックの気持ちが、他の人よりもほんの少しだけ分かる。ルックの翡翠色をした綺麗な瞳。 哀しいほど綺麗な瞳、そこには胸を深く抉られたような孤独がひしめいてる。 でも一番哀しいのは、孤独であることを最初から受け入れて、全部諦めてしまってること。 ……ねえ、ぼくじゃ…癒してあげられないのかな……?」 僅かにルックは辛そうな顔になる。セフェリスの言葉は、耳触りは優しいのに核心に正確無比に突き刺さるため、 貫かれた真実が胸に痛みをもたらす。そんなルックをセフェリスは微笑みながら見つめ、やがて栗色の髪へと右手を伸ばした。 「ぼくたちが生きているのは、とても淋しくて残酷な世界だけど……そんな世界にも、綺麗なものは確かにあるんだよ」 ほんの少し潤んだ瞳を互いに絡ませて、そっと髪を梳く。細くしなやかなそれは、 触るととても滑らかでさらさらとセフェリスの指の間を滑っていった。 「ぼくは見つけたよ。真っ黒な泥の海のなかで沈んでいた綺麗な宝物を、見つけたんだよ……ルック………」 言いながら顔を寄せたところで、ルックは何を思ったか、セフェリスの頬をパシンと叩いた。 「触るな、浮気者」 「……?」 浮気者、だなんて心当たりのないセフェリスは無言で首を傾げる。その仕草すらルックの逆鱗に触れた。 凄惨な冷笑を浮べ、自らをも追い詰める行為だと分かっていながらも、ルックはそれを口にした。 「覚えてる?ぼくたちが初めて交わった夜のこと。あんたがソニエールから帰ってきた夜のこと…… 誘ったのはあんたの方だったかもしれないけど、ぼくに抱かれる時に何を口走ったかなんて……ふ、覚えてるはずもないよね」 どうやらセフェリスは本気で覚えていない。首を絞めてやろうかと思った。 「“グレミオ”って言ったのさ、一度や二度じゃないよ。数えるのも馬鹿らしいくらい、 あいつの名前を呼び続けながらぼくに抱かれていたんだ」 「…そんな……」 呆然としたセフェリスの反応にルックは後悔を覚える。 そう、言ってしまえば後悔するのは百も承知だったのにそれでも傷ついてしまうのだ。 その上さらに傷口に塩を塗り込むような悲痛な訴えを喚き散らす。 「中途半端な同情なんていらないんだよ!もしぼくのことを本気で愛してるのなら、あんたの全部をぼくに寄越せ! それが出来ないなら、もうぼくに話しかけるな…!!」 視界が霞んでセフェリスの顔が見えない。だから怖くない、 口の端にかけることすら恐ろしくて今までずっと言えなかったことを吐きだした。もう終わった、糸は切れた…… そう観念したところで、ルックの身体は予想外に温かなぬくもりに包まれた。 「……泣かないで、ルック……」 嫌われると思っていた、少なくともこの関係に亀裂が走るのは確実だと思っていた、 だからセフェリスに抱き締められて、耳元でそっと囁かれて、ルックは咄嗟に正常な思考を働かせることが出来なくなった。 「グレミオは母さんなんだ。グレミオと肉体関係を持ったことは一度も無いよ。 だから…ぼくが恋情を抱くのは……ぼくが本当に口づけしたいのは……」 「この…浮気者……」 低く呻いたルックは、ふつふつと湧き上がる衝動を次第に抑えきれなくなっていた。 頭の片隅、ほんの僅かに残った理性でもって強く想う、セフェリスは、本当に馬鹿だ、馬鹿なんだと。 「浮気者でもいい。信じてくれなくてもいい。確かにグレミオは大好きだ。それでも……『ルックが愛しい』、 この気持ちだけは本当だか、ら……んっ……」 衝動に身を委ね、強引に唇を奪い取る。セフェリスは抵抗しなかった。むしろ受け容れてくれた。 歯列を割って舌を入れるとセフェリスは控えめに、かつ大胆に応えてくる。 情熱的な口づけは長く、唇を解放すると名残惜しげに糸をひいた。乱れがちな息もそのままに、ルックは獣めいた瞳でセフェリスを睨む。 「ぼくは…あんたの全部を奪ってやる……生半可な覚悟なんか、粉々に打ち砕いてやる」 最後までセフェリスはルックに臆することは無かった。 しとしとと雨が土に沁み込んでいくように優しく、怖いほど優しくルックに微笑みかける。 「……いいよ。好きなだけ、壊して。何も考えられなくなるくらい…ルックに溺れさせて……」 「セフェリス……っ」 そしてルックはセフェリスを押し倒す。やや乱暴に彼を蹂躙しながら、セフェリスにひとつ愛撫を加えるたび、 ルックはひとつ思い出を回想していった。近衛隊としての初仕事を懸命に果たそうとモンスターと戦う彼、 自分が解放軍に加わると知って無邪気に喜んでくれた彼、戦に晒される度に強くなっていく彼、 それでも大切なものを失って脆く崩れかけた彼……そんな彼を見るたび無意識のうちに病的に惹かれていった自分。 なんて愚かだと、声も無く笑った。 or 目次に戻る? |