3.嫉妬


その夜以降、ルックはこれまでと真逆の行為に出た。ひたすらにセフェリスを避け続けるようになったのだ。 セフェリスを嫌いになったわけではない、あの夜にセフェリスが口走った言葉の所為で、自分を嫌いになりそうになっただけ。 それにセフェリスは立て続けの戦で酷く忙しげにしていたから、こちらから近づかなければ距離を取るのは容易だった。
セフェリスもセフェリスで、あまり積極的にルックに歩み寄ろうとしなかった。 自分を避けるルックの様子に、嫌われたのかな、と軽く胸を痛めたくらいで、 あの夜のことはまるで幻だったかのように感じていた。 どうしてあんなことになったのか、ルックは自分をどう思っているのか。 いつか聞けると思っていた、しかし結局、ろくな会話も交わせぬまま戦争は終わり、数年間の別離の時を迎えることになったのだった。
グレミオが生き返り、セフェリスが戦争後に彼と共に出奔したと知った時、ルックは軽い安堵すら覚えた。 一度は地に落とされた隻鳧は失われた片割れを手に入れて再び揃って飛び始めたのだ、 束の間羽を休めた小さな翼の存在も忘れて。それがあるべき形であるとルックは思い込んだ、 麻痺した痛覚では貫かれた胸の痛みすら感じることは出来なかったけれど……
「やあ。君も変わらないみたいだね」
そして3年の空白を経て、二人の時は再び動き始めた。 偶然的な再会、バナーの村で釣りをしていたセフェリスの頬は血色も良く、元気そうだった。 一方でセフェリスはルックの姿を見て言葉を失う。14で時を止めた己の身体同様、ルックの姿は寸分も成長していなかったから。 ルックの宿す真の風の紋章、その呪いの一端を垣間見た瞬間であった。
「なんだ…セフェリス、また来たの?」
新同盟軍の本拠地、その広間にある約束の石板。宿星の名が刻まれる石板の前は、ルックの定位置だ。 陽が傾きかけた時分、一仕事終えたセフェリスが嬉々とした表情で石板の前に駆け寄ってきた。 そんなセフェリスを、ルックはうんざりしたような、半ば諦めたような態度で迎える。
「ねえねえ、一緒にご飯食べに行こうよ。ルックの好きなアイリコロッケもメニューにあるみたいだし」
「はぁ…かつての英雄が、随分とお暇なようで」
ルックが知る限りセフェリスは、新同盟軍の軍主クラリスによってこの城に呼び出される度にルックのところに通っているようだ。 暇人呼ばわりされて当然かもしれない。 どうもセフェリスはクラリスへの協力とルックに逢うこととどちらが目的となっているのか分からなくなっているようだが、 ルックにとってこの状況は決して嫌ではなかった。
「だけどもうグレッグミンスターに帰るんだろ?」
「うん。でも……いざ帰ろうとすると名残惜しくて。なんとなく、ルックの顔をもっと見てたいんだ」
そう、この状況はルックに特殊な高揚感を与えた。 かつて自分がしきりにセフェリスに纏わり付いていた時と同じ気持ちでセフェリスがいてくれるのだとすれば、 それはつまり…そういうことではないかと、期待してしまうのだ。 もちろん、そんな心理をルックは表に出すことはほとんどなかったけれど。今日もまたルックはぶっきらぼうに呟いてみせた。
「……バカだね、あんたも」



一方、マクドール家。今日もまたセフェリスは夕食が終わっても帰って来なかった。 大食漢のパーンは山盛りの料理を残さず平らげ既に食堂を出て行ったが、グレミオはなかなか食事が喉を通らないようで、 目の前の皿にはまだ三分の一程度のシチューが残っている。
「どうした?グレミオ。食が進んでないみたいだけど」
「いえ……」
気がかりになってクレオが言葉をかけるが、グレミオは力なく頷くだけ。ますますクレオの不安を煽る。
「あんた最近おかしくないか?ずっとそんな浮かない顔ばかりして」
グレミオはとうとう食事を諦めてスプーンを置いた。心なしか青ざめた白皙の頬。色の失われた唇から小さな声が漏れる。
「なんだか、…この頃…私、変なんです。ぼっちゃんを送り出す度、もうこのまま帰って来ないんじゃないかって、 そんな漠然とした不安感に囚われて……」
「何言ってるんだ、ここはぼっちゃんの家だぞ。ちゃんと帰って来るさ」
あんたは旅の間ずっと一緒だったから、きっと余計に淋しいんだろうね、とクレオは付け加える。 しかしそんな慰めもグレミオには届いていないようだ。
「ええ、それだけなら…いいんですけど……でも」
「でも?」
顔を伏せ、テーブルの上にある食べ残しのシチューをぼんやりと見つめながらグレミオは弱弱しく語った。
「クレオさんも気づいているでしょう?出かけていくぼっちゃんの顔、とても嬉しそうですよね。 ……私なんかと居るときよりもずっと楽しそうで……その表情を見ると、 私、胸がすごくもやもやして、締め付けられるように苦しくて……」
クレオの目の色が一気に硬化した。グレミオの言葉から、あらかたのことを察したのだろう。
「……嫉妬、だね」
「はい。…そうだと…思います」
クレオと目を合わせようとしないグレミオも、声音の違いからクレオの心境を知ることが出来た。 だからなおのこと、彼女の瞳が見れなかった。
「私の勘だと……ぼっちゃん、たぶん向こうに好意を抱いてる人がいる」
「…は、い」
「そんな相手に嫉妬する、ってことは……グレミオ」
「………はい」
クレオは容赦しなかった。ここではっきりさせなければ、グレミオの為にならない。だから容赦無く、グレミオに問いかけた。
「あんたは自分がどんな目でぼっちゃんを見ているか、ぼっちゃんとどういう関係でありたいのか…… 自分の正直な気持ちを、ちゃんと分かっているんだろうね?」
「……………」
「グレミオ。厳しいようだけど…自分の気持ち、自分の願いをしっかり自覚していないと、あんた、後悔するよ」
「……………」
重ねてクレオは警告するが、グレミオはもう何も言わない。そしてしばしの静寂…これ以上待っても無駄だろう、 胸にわだかまりを残しながらも、二人は会話を断った。そしてクレオは、 このとき強引にでもグレミオの本心を引きずり出しておくのだったと、後の日に激しく悔やむことになるのだった。



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