1.記念日


セフェリスとグレミオ、巡り合った二つ星。彼らが初めて出逢ったのは、徐々に秋の色が深まりつつある日のことだった。
互いに孤独を抱え、愛に飢えていた二人は瞬く間に打ち解けた。 セフェリスはグレミオの柔らかな声と亡き母そっくりなブロンドの髪の虜となり、 グレミオはセフェリスの無垢な笑顔と甘えたがりな仕草の虜となった。
二人はいつも一緒だった。温かな父と優しい家臣たちに囲まれて、かけがえのない時間と思い出を次々と紡いでいった。 寄り添って眠った夜は数えきれぬほど。 しんしんとした夜にグレミオのベッドでくっつきながらまどろむことが特に二人は大好きだった。
「…ん、……母さ…ん……」
夜更け、寝惚けたセフェリスが、グレミオの胸元にすり寄りながらうわごとのように呟く。 小さな唇から頻繁に発される同じ寝言、するとグレミオはいつも囁く、母さんはここですよ、と。 そう言って黒髪を撫でるとセフェリスの寝顔はいっそう安らかになり、幼子への愛しさは日増しにつのっていった。 『母』であることがグレミオにとって何よりの僥倖だったのだ。
グレミオに誕生日が無いのだと初めて聞かされた時、小さなセフェリスはまず目をまん丸くさせて驚いた。 グレミオが言うには、長く戦災孤児として彷徨っていた間に忘れてしまったのだという。 グレミオはもう自身の両親の面影すらもおぼろげにしか覚えておらず、誕生日を祝ってもらったことなど記憶に残っていないそうだ。
「そんなの、すごい…哀しいよ……グレミオ、かわいそうだよぅ……」
話を聞くうちにセフェリスはぽろぽろと涙を零し始めた。そんな幼子をグレミオはそっと抱き締めて囁いた、 哀しくなんてない、今がとても幸せだから、怖いくらいに幸せだから、ちっとも哀しくなんてないのだと。
「私はぼっちゃんのお傍にいられるだけでこんなにも幸せです。 だからぼっちゃん、泣いたりしないで、ずっとずっと、笑っていてくださいね」
二人はしっかりと抱き合って、満面の笑顔を思い出の一頁に刻み込む。穢れの無い声で、セフェリスは約束した。
「うん。グレミオがさみしくないように、ぼくがずっと傍にいてあげる……!」
やがていつしか、そんなやりとりすらも遠い過去となったとある秋の日…… 十歳のセフェリスは頑張って溜めたお小遣いで至極小ぶりの花束を買った。花屋のおじさんに勧められたのは、 目を見張るほどに綺麗な花。値段が高くてたくさんは買えなかったけれど、美しい緋色がきっとグレミオの金髪に映えるだろう。 これを見せたら喜んでくれるかな、セフェリスは心躍らせて小走りに家路についた。
屋敷に帰って真っ直ぐ厨房に向かうと、予想通りグレミオはそこで夕食の準備をしていた。 後ろ手で花束を背に隠し、かまどに向かっているグレミオにそろりそろりと歩み寄る。 不思議に思ったのか青年が振り向くと、そこへセフェリスはさっと花束を差し出した。
「……ぼ…っちゃん?」
開いた口がふさがらないという風情のグレミオを見つめながら、セフェリスは天使のように微笑んだ。
「ねえグレミオ、今日を記念日にしよ?」
するとグレミオは何を思ったか、顔をかぁっと紅潮させ、激しく動揺した。
「ぼ、ぼぼぼっちゃん!!いけません、そんなこと…!」
グレミオの反応が意外だったのか、セフェリスは首を傾げ、目を白黒させる。
「よくわからないけど………なにか、勘違いして…る?」
「……。え…?」
唖然としたグレミオに向け、もう一度微笑みながら改めて花束を差し出す。
「忘れちゃったの?今日は、グレミオが初めてマクドール家に来た日だよ。ぼくとグレミオが、初めて出逢った日…… だから、誕生日の代わりに、ぼくがお祝いしてあげようって決めたんだ」
セフェリスはいつの間にかもう十歳。自然と他者への思いやりと慈しみを覚えたのだ。 じんわりと胸が熱くなるのを感じながら、グレミオは花束を受け取った。
「ありがとうございます、ぼっちゃん……でも、どうしてこの花を選んだんですか?」
「うん。記念日には花が良いって聞いて、それで花屋のおじさんに相談したら、 一番大好きな人に贈るならこれが最高!って教えてくれて……」
正直なところ、グレミオは花屋の主人の正気を疑った。きっと性質の悪いジョークのつもりだったのだろうが、 将軍家の子息にそれを実行するとは、肝が据わっているのか、頭が悪いだけなのか…… ともあれ、セフェリスにはきちんと説明しなくてはなるまい。
「まあ、あながち間違ってませんけど……いいですか?赤い薔薇は、深い愛情を意味するんです。 特に、男女間の情熱的な愛を…ね?だから、あんまり軽い気持ちで贈っていいものではないんです」
すると初恋もいまだ知らぬセフェリスは、その頬をまさに薔薇色に染めて狼狽えた。
「あ……ご、ごめん。そんなつもりじゃなくて……でも、でも…軽い気持ちで、なんかじゃ…… ホントにグレミオが一番大好きなんだよ、ホントだよ……!」
懸命に訴えるセフェリスが可愛くて、グレミオの口元は自然とほころんだ。 紅くなった頬を指先で撫でてあげるとその頬は夏の陽に晒されたように熱くなっていて、そんな些細なこともグレミオの胸を暖めてくれる。
「ふふっ、気になさらないで。ぼっちゃんのお心はよく分かります。 そのお気持ちだけで十分ですよ……このお花は、とびっきり綺麗に飾りましょうか」
「ん。…じゃあ、グレミオ……」
自身の頬の上を滑るグレミオの白い指先をセフェリスはきゅっと握り、おそるおそる、ためらいがちに訊いた。
「来年のプレゼント、何がいい…?」
今度は狙いを外したくない、けれど…、というセフェリスの葛藤が伺える。本当はプレゼントなんて無くていい。 グレミオにとって、セフェリスの想いを感じられるだけで十分なのだから。
「そうですねえ。一日好きなだけぼっちゃんを抱き締めてもいい権利、とか?」
「あははっ、何それ〜」
胸から愛しさが溢れ落ちそうな陶酔感に包まれる。グレミオが思わずその小さな身体を胸に抱き込むと、 セフェリスは声をあげて無邪気に笑った。グレミオがセフェリスを抱き締めたのにはもうひとつ理由があった。 時間差を置いて溢れてきた嬉し涙を見られることが、ちょっとだけ恥ずかしかったのだ。
次の年セフェリスがグレミオプレゼントしたのは、一般的によく見られる『肩たたき券』などではなく、 『丸一日好きなだけぼくを抱き締めてもいい券』だった。あれは本当に冗談のつもりだったなどとはグレミオはとても言えず、 「他の人に同じものを贈らないでくださいね」とだけ伝え、あとはもう、二人が二人、望みのままに。
その次の年は、桜色の清楚なエプロンを。
その次の年は、料理本『シチュー百選』を。
そして、その次の年は……。
しかし、何時からだろうか?この記念日に、再びセフェリスが真紅の薔薇を贈ってくれるその瞬間を、 おそらくは永遠に来ないであろうその瞬間を、ほんの少しだけ期待して待つようになってしまったのは。 そう…その心境は、まるで乙女が恋焦がれるかのように。どこかで誰かがぽつりと呟き、道化のように笑っていた。
『…馬鹿な男。ずっと母親のままでいれば幸せだったのにね。』



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