あの人の笑顔が好きだった。あの人を知る者の中には「冷血」とそしる単細胞もいるのだけれど、 確かに軍人としてはあまり笑わない人だったと思う。ううん、そんなんじゃないよ、 ちゃんと笑ってくれるんだよ…そう言えたのは プライベートで一番傍にいた俺の特権だったのかもしれない。 俺がとりわけ心を奪われていた笑顔は、 周囲曰く「クラウドと一緒にいるときにしか見せない」という微笑だった。 それは一見笑っているのか判らなくて、でも確かに笑っていて、 無表情の受容力で抱え切れなくなった「幸せ」が溢れ出たようなもの。 そんな表情を浮かべたときのあの人は、よく俺に優しく囁き掛けてくるのだけれど、 俺はその掠れ声を聴くだけで恥ずかしくて真っ赤になってしまって、 だけどあの人の笑顔を見ると、羞恥心なんて本当にもう、どうでも良くなっていた。 全身が熱くて、鼓動が早くて、堪らなくなって逞しい胸に抱きつくと、 あの人はいつも俺を優しく抱き返して、耳元でお決まりの告白を繰り返した。 “愛してる”って。そう、大好きだった、総てが。 あの人の顔からその微笑が消えて、憎しみの冷笑だけを湛えるようになってから、 あの人を止めるのは俺の使命だと思うようになった。赦せなかった。 笑顔も幸せもことごとく忘れてしまったあの人が。 そうだ、どうせ俺のことなんて大して愛してなかったんだろう? 俺のこと忘れるくらいに、忘れるくらいに…! 俺はあの人を誰よりも愛していたから、誰よりも憎むことが出来た。 そう、俺は冷静に逆上していたのだと今になって思う。 あの人の笑顔は俺の胸の中にだけ大切に仕舞い込んで、 狂ってしまったあの人を倒すことで、思い出のあの人の笑顔はもう誰にも穢されない、 聖域、不可侵なものになるはずだった。 …なのに、それなのに、こいつはあの人じゃない、もうあの人じゃないと叫びながら、 俺の顔を、髪を、瞳を心を魂を何もかもを愛してくれた全身を切り刻んで、 寸とも抵抗しない躯をバラバラにしたときの、あの人の相貌が…… 何て 満たされた 笑顔――― ……愛していた?ねえ、まだ俺を、愛していたの? あの人の、その血塗れの微笑みさえ見なければ、 俺は思い出のあの人だけを抱いて生きてゆくことが出来たのに。 そのとき俺は、大好きだったあの人の笑顔がこの先永久に失われたことを知った…… ミッドガル伍番街スラム、廃墟の教会に足を踏み入れた。 こつ…こつ…硬い靴音がやけに大きく聞こえる。エッジの喧騒からはかけ離れた、 耳が痛いほどの静寂と、天井の隙間から柔らかく差し込む陽の光。 いっそ神聖ともとれる禁猟区で歩を進めることは彼女にとって勇気の要る行為だった。 こつ…こつ…目当ての彼は、ユリに似た花々が慎ましく咲く花畑を見つめ佇んでいる。 靴音がやんだとき、彼はこちらを振り向かないまま、唐突に唇を開いた。 「一度だけ……」 泣いているのかもしれないと、彼女は思った。彼の声は少しも震えていなかったのだが、何故か。 「もういないはずのエアリスが見えたことがあるんだ。 だから此処にいたら、いつかあの人に逢えるんじゃないかって」 彼は緩やかに振り向いた。十歩ほど先に、久しぶりに会うティファの姿を認めて、 クラウドは目を細める。それを受けて、ティファも苦笑のように唇を歪めた。 「何となく、あなたの考えることは解るの」 ティファはもう数歩、歩み寄る。そして、少々ぎこちなく視線を逸らした。 「元気に、してる?」 「…………」 ティファは一瞬だけ、怖いものを見るように目線をクラウドの青白い顔に合わせると、 軽くまばたいた。それは視界を遮る為の反射なのか。 ティファの胸に、ちくりと小さな棘が刺さる。 これから自分がすることを、クラウドは赦してくれるのだろうか…… 「……そっか」 困ったように立ち尽くしているクラウドに再度視線を戻して、 ティファは慎重にクラウドの傍まで前進すると、右手に持っているものをそっと差し出した。 「これ……は……」 それを見て、クラウドの顔が凍りつく。ティファの手にあるのは、一枚のカードキーだった。 「…随分前にね、リーブから受け取っていたの。私も悩んだのだけど…… これはクラウドに渡すべきだと思って…」 クラウドは俯いて、首を横に振った。言葉無く、彼は拒絶した。 そんなクラウドを、ティファは静かに見つめ続ける。 「……ミッドガルにメテオが墜ちた日から」 クラウドは俯いて。 「あなたは、いつも涙を流さずに泣いていたわ」 ゆっくりと、ゆっくりと顔を上げる。 「そんな眼をして……」 「……解っているのに……何故」 「残酷なこと、なのは解ってるわ……」 ティファは数瞬ほど躊躇ったが、敢えて声を絞り出した。 「あなたは……知らなくてはいけない。彼がもういないことを」 クラウドは押し黙り、繰り返しかぶりを振る。それでもティファは諦めなかった。 「それはとても辛いことよ。……でも、あなたはまだ生きているわ。 今のままじゃ、あなたの心は死んだきり、何も変わらないもの。 決して克服出来ない困難ではないはずよ。きっと、いつか……その為に、この鍵をあなたに渡すわ」 ティファはクラウドの冷たい手を取ると、カードキーを握らせた。 しばし冷ややかな手を温めるように両手で包み込んでから、ゆっくりと離す。 力の無いクラウドの手、しかしカードキーは、その手から落ちることは無かった。 「心配だから、私もついて行きたいのだけど……」 ティファの言葉は即座に遮られた。 「来ないでくれ」 はっきりとクラウドは言い切った。 「来ないでくれ……頼む」 ティファは微かに身じろぎして、何かを言おうと口を開き、逡巡し、 けれどその思慮深さゆえに頷くほか無いことを知っていて。 「……そうね……分かったわ」 極力冷静を装った、しかし必死さを隠せない瞳で、ティファは最後にひとつ、懇願した。 「でも、これだけは……仲間に連絡だけはして。あなたは、決して独りじゃないから……」 クラウドは、酷く頼りない様子で頷いた。 あの人はもう いない と言われても よく 解らない あの人を斬り捨てた 感触は 憶えているのに だってまだ 俺はこんなに あの人を …… or 目次に戻る? |