2月半ばの日。クラウドの病状は非常に思わしくなかった。
体温は40度を下ることなく、しばしば譫妄に陥り、脱水症状を起こした。
ティファとマリンは、クラウドの看護とパティの世話をふたりで協力して行った。
ティファは、マリンがいてくれて本当によかったと心から感じていた。
一人だったら、病気の夫と幼い子供を抱え、過労と心労で倒れていたに違いない。
翌日、クラウドの容態は更に悪化し、ひどく呼吸が苦しげになり、
10秒程度の呼吸停止を断続的に起こした。しかし夕方ごろには容態は安定し、
夜半過ぎに譫妄から意識が戻った。
「マリン、もういいわ、眠いでしょう?部屋に戻りなさい」
「でも、ティファ……」
「また何かあったらすぐに呼ぶから」
マリンはためらったが、今日は朝早くからクラウドにつきっきりだった。
疲労に勝てず、後ろ髪を引かれながら自分の部屋に戻った。
それを見送って、クラウドへ視線を移すと、彼は目を覚ましていた。
こちらの視線に気づいたのか、目が合うと彼は、ふ、と微笑んだ。
「―――」
そのときティファは言葉を失った。クラウドの瞳は、あまりに柔和過ぎた。
確かに病にかかってから、穏やかな表情をすることが多くなってはいたのだけれど。
白色矮星の静けさに似た、まるで燃え尽きた後にほんのわずか残った灰のような、
その瞳の輝きを見たとき、ティファは、彼の死を確信した。
そのときの自らの心情が、意外と静かであることに、ティファはむしろ驚いていた。
ふと、クラウドの唇が何かを求めるように動いた。水を欲しがっているのだ。
ティファは、水差しに水がないことに気づくと、クラウドの頬を撫でて、語りかけた。
「……待ってて。すぐ持ってくるから」
ティファがせわしなげに部屋を出て、寝室の扉が静かに閉められたとき、部屋のカーテンが、
音も無くふわりと舞った。何とは無しにクラウドがそちらへ顔を向けると、
予想とたがわず、いつもの長身があった。
ああまた来たの、とクラウドはぼんやりと幻を見た。いつも傍にいてくれた幻。
いつしか空気のように、その気配はクラウドの傍らにまといついていた。
だけどもう、見飽きちゃったな。でも、幻はいつも微笑んでいるのに、
どうして今日は、表情がないんだろう。能面みたいだ。……うん、でも、それはどうでもいい。
早く、いつもみたいに髪を撫でて欲しい。そして、できたら、抱きしめて欲しい。
寒くて仕方ないんだ。幻は温かくないけれど、それでもいいから。早く。はや…
な
んて 激しい抱 擁
……
…
まず、重いと、思った。苦しいと、思った。それがきつく、きつく抱かれている所為だと知るのに、
ひどく時間がかかった。抱く腕は震えていて、それを堪えようとなおいっそう力を込めて抱いた。
彼が顔をうずめたところ、髪と、肩、ぱたぱた、ぱたぱたと濡れていくのを感じた。
そのしずくは確かに実体を持っていた。熱いしずく。
―――熱いよ……ひとの身体って、…こんなに熱かったんだ……
「…あは……あはは………」
乾いた、笑い声が口を突いて出た。それはひどくしゃがれていたけれど、
表情筋は勝手に動いて、声も勝手に溢れてきて止まらなかった。
「あはは…あははっ……」
クラウドはセフィロスの身体を抱き返そうとしたけれど、もう腕が動かなかった。
それでも笑い続けた。
「…あははっ……嬉しいなぁ……」
「………クラウド……」
「嬉しいなぁ……いちばん…会いたかったひとに……会えたぁ……」
「クラウド…クラウド…っ…」
「嬉しいなぁ……嬉しい…なぁ」
「もういい……もうしゃべらなくていい。オレにはわかるから……」
セフィロスは顔を上げた。濡れた視線同士が絡む。セフィロスの歪んだ顔は、
それでもひどく美しかった。
「伝えようとするだけでいい。オレはそれでわかる」
クラウドの、やつれ、変わり果てた姿を、セフィロスは目を逸らさずにまっすぐ見つめた。
クラウドは少し不思議そうに瞳を揺らす。
『……これで…わかるの?』
「ああ、わかる」
『すごい……嬉しい……』
口に出さなくても思いが伝わることに、クラウドは驚いた。
口に出すよりずっと滑らかに思いが伝えられる。嬉しかった。ずっと伝えたいことがあったから。
『ごめんね……セフィ、ごめんね……』
そう、ずっと伝えたいことがあった。ずっと謝りたかった。
『そばにいてあげられなくて……ごめんね……』
「…もういい……もういいんだ」
セフィロスは何度も首を横に振った。そんなセフィロスを柔らかく包み込むように、語りかけた。
『もう、ひとりじゃないよ……』
「………?」
『俺が、ずーっと一緒にいてあげるね……』
セフィロスは、不思議そうな顔をした。その表情が子供のようで、
なんだかおかしくて、クラウドはまた笑った。
『…ティファには、パティがいるから……もう大丈夫だよ』
「一緒…に……?」
クラウドは、力強く頷いた。答えるように
、セフィロスが手指同士を絡ませ、握った。……脈が弱い。もういくらも持たない。
『ね……、お願い、これだけ…言わせて……』
クラウドのしようとしていることに気づいて、セフィロスが顔を寄せた。
呼吸困難と高熱に阻まれながら、クラウドは、セフィロスの耳元にささやいた。
「………あいして…る……」
どこまでも透明な思いが、セフィロスの鼓膜を揺さぶった。
恐ろしいほど懐かしい言葉はかすれていたけれど、ちっともひび割れてなんていなかった。
セフィロスはその言葉を静かな微笑でもって受け止めて、
最後の一呼吸をすくい取ろうとするように、唇をそっと重ねた。
寝室のすぐ外、ドアに背を預けていたティファは、
自らの夫が星に還った気配を感じ、静かに天を仰いだ。白い頬に、涙が滑り落ちた。
挿入音楽 John Rutter『Gloria』2番より抜粋
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