paradox
-逆説・あるいは矛盾-


「夢、怖くて……クラウドの部屋、行ったの…そしたら……ティファしかいなくて…… ティファね、クラウドはもう…帰ってこないかもしれないって…… どうしてティファ泣いてたの?どうして、ティファ泣いてるのに、 ……クラウドは外にいるの?」
クラウドは何も言えず、かたかたと震え始めた。ひどく顔色が悪い。 寒い所為もあったが、寒さの所為だけではないのは明白だった。 セフィロスは、無駄だと思いながらも自分のコートをクラウドの肩にかけてやった。 それを見て、マリンはこの銀髪の男が『闇』の正体だと直感的に理解した。
「…この人ね?」
マリンが涙を拭ってセフィロスに駆け寄った。物怖じせずに。
「この人がクラウドを連れてこうとしてるのね!」
マリンはクラウドとセフィロスの間に割り込むと、 表情の無いセフィロスをどんどんと握りこぶしで叩いた。 当然、セフィロスの身体はびくともしなかったが。
「クラウドを連れてかないで!クラウドはね、あたしたちの家族なの! ケッコンしてるの!ティファが好きなの!邪魔しないでよ……! 私たちは幸せなんだから……クラウドは…幸せなんだから……っ」
「……マリン…」
堪えようと思っても涙は溢れた。いくら拭おうと零れてくる。 セフィロスを責める声は徐々に細り、「連れてかないで」と弱弱しく繰り返す。 セフィロスは無表情ともとれるひどく静かな表情をして、泣きじゃくるマリンを見つめていた、 しかしやがて、ゆっくりと重い口を開いた。
「……オレは」
クラウドは、はっとなってセフィロスを見た。何を言おうとしているのか、直感的に分かったのだ。 駄目だ、それを言ってしまったら、言ってしまったら……
「オレは…それでも……クラウドを……」
駄目だ!
「遊びだろう?ただの」
咄嗟に遮っていた。セフィロスがこちらを見るのが分かり、思わず視線を逸らした。 口にした言葉のあまりの酷さに自然酷薄な笑みが浮かんだ。
「俺は別にあんたが好きなわけじゃない。 あんたも俺のこと好きなんかじゃないだろう?そうだよな?」
肩に掛けられたセフィロスのコートをぎゅうっと握り締めた。声が、 身体が震えないように全身全霊を賭した。けれど足が小刻みに震えているのをセフィロスは見た。 足だけが。セフィロスは静かに瞑目した。やがて次に瞳を開いたとき、 傷ついた瞳は冷笑に隠された。言葉は自然と口を突いて出ていた。
「クラウドとは……そう、ただの…気紛れだ(オレはいつも気が狂うほどおまえが愛しくて)」
………ずきん、…ずきん…
「クラウドが愛しているのはティファだけだから (クラウドはいつもティファとオレの間で苦しんでいたそれに 気付いていながらクラウドを求めたのはオレのエゴだった)」
…ずきん、ずきん、ずきん
「たまたま身体の相性が良かったからずるずると付き合っていただけで (クラウドの総てに虜になっていた身体だけじゃない もっと深いものが欲しくて仕方なかった)」
もう、いい……もうわかったから………
「別に好きなんかじゃ…ない…(愛して…いるんだ……)」
バサッとセフィロスにコートが投げつけられた。クラウドが投げたのだ。 力いっぱい投げられたコートはセフィロスにぶつかった後地面に落下した。 だがこのコートの顛末を気にするものは誰もいなかった。
マリンは息を呑んだ。クラウドの美しい双眸からはぽろぽろと宝石にも似た雫がこぼれていた。
「俺は……俺は…」
ずきん、ずきん、ずきん、ずきん、ひっきりなしに疼く胸の苦痛を堪え、 クラウドは渾身の力でセフィロスを睨みつけた。
「俺は…幸せなんだよ……ティファといると……安らげる……赤ちゃんも、もうすぐ、できる……… 幸せなんだよ…俺は……なのに…なんで!」
苦しくて息ができない。苦しくて、苦しくて……
「なんであんたといるとこんなに苦しいんだよ……!!」
その場から逃げるようにクラウドは家に駆け込んだ。 仕事部屋に転がり込んでドアに鍵をかけた。ひとりの空間になるともう止まらなかった。 涙は滝のように流れ止まらなかった。嗚咽は次から次に溢れ出た。 立つこともままならずソファにうずくまった。誰かがドアをしきりにノックしている。 きっとマリンだろう。
「好、き……っう、セフィ…えっく、大好き…大好きだよ……」
訳がわからないまま口を突いて出る言葉。その度にずきんずきんと疼痛が襲う。 どうして彼を愛すごとにこんなに苦しいんだろう。 どうしてこんなに苦しいのにまだ彼を愛すのだろう。昔に還りたかった。 あのひとを追いかけていた頃、ただ純粋にセフィロスを愛せたあの頃に還りたかった。 どこまでも透きとおった「愛してる」を言い合えた日々。 今はもう、正気でいる限り言えない。ティファの痛ましい瞳。 セフィロスの顔に張り付いた冷笑。今の自分は、優柔不断に優柔不断を重ねて、 ふたりをずたずたに傷つけただけだった。ふたりを同時に愛そうとしたなんて、 そんな愚かなこと。なんて浅はかさだ!
(…もう、会わない……)
やめよう。もうやめよう……もう誰も、傷つけないように……
(もうセフィロスとは、会わない………)
涙は一向に止まらなかった。それにはかまわずに、 クラウドはごそごそと自分のデスクの抽斗をひっかきまわした。 取り出したのは、小さめの便箋だった。卓上のペン立てからペンを取ると、 文字を書き始めた。セフィロスへの手紙だ。文字はひどくゆがんでいた。 涙で字が滲んだ。滲みすぎて読めなくなると丸めてゴミ箱に投げた。 新しい紙に再び書き始めた。また滲んだ。捨てた。書き始めた。 随分長い時間をかけて、短い文ができた。持ち上げて、読んでみた。 ひどく、心にも無いことが書かれている印象を受けた。一番書きたかったこと、 一番伝えたいこと、それが書かれていないと思った。もう一度ペンを持ち直して、 書き足そうとして、手が止まった。それは書いてはいけないことだと、ようやく気付いたのだ。 ぽた、とまた雫が紙に落ちて、慌ててペンを置いた。紙を両手で持ち上げて、 顔に近づけた。唇が触れるくらい近づけて、瞳を閉じる。まぶたに浮かぶのは、 あのひとの後ろ姿。銀色の長い髪揺らして、自分の先を歩いている。 待って、セフィ待って。あんまり早く行かないでね、俺が追いつけないから。 待ちわびたようにあのひとは振り向いて、そっと微笑んだ。さざなみのように優しくて、 海のように深遠なあのひとの表情。その微笑に向けて、クラウドは自然に、 ごく自然に、一言だけ呟いた。それは声になる前にかき消えて、 クラウド自身にすら聞こえなかったけれど。
(あ、い、し、て、る………)
胸の痛みは、もう感じなかった。麻痺してしまったのかもしれない。 涙が途切れないことだけが不思議だった。便箋を折りたたむと、封筒に入れた。 それをデスクの端に押しのけて、クラウドは机に崩れ落ちた。猛烈に眠かった。 腕が涙で濡れるのも気にしないで、意識が落ちていくのに任せた。 夢でセフィに会いに行くために。
セフィ、もう会わないよ……もう傷つかなくていいんだよ……
だから、もう、俺を愛さないでね……
愛さないで、ね……


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