さきほどまでしとしとと降り続いていた雨は、
ゆうやみが訪れようやくやむ兆候をみせてきたようでした。
それでも傘をたたむべきかどうかは微妙なところで、
仕事を終えたサー・セフィロスは
さきほどから黒い傘を開いたり閉じたりしながら兵舎近くを歩いていました。
本日、サー・セフィロスは小用でしばらく本社に残っていたものですから、
この時間になると人通りも少なく、兵舎の窓からはこうこうとあかりがもれて、
細い帰り道を照らしていました。今日はコンビニで夕食を買って済まそうか、
それともこのあいだ買ったごぼうが残っていたからそれできんぴらでも作ろうか、
そう考えながら十字路を曲がろうとしたときでした。
「おっ、旦那じゃねえか!今帰りか?」
元気よく後ろから声をかけてきたのは、サー・セフィロスの数少ない友人
Zでした。そうですね、ここではぜんまい(Zenmai)としておきましょう。
「なんか所帯じみたやつが歩いてんなーと思ったら、まさか旦那とはねー」
「……なんだ、おまえか。この時間まで残業か?」
さきほどまで所帯じみた考えにとらわれていたとは微塵も感じさせず、
サー・セフィロスは傘をさしました。また少し降り出したからです。
もちろんぜんまいはいれてあげません。
「こないだのミッションの始末書!!あれがなかなか片付かなくってさ。
俺、あーいう細かいの、苦手」
ぶーぶーと文句を言いながらぜんまいはサー・セフィロスの隣を歩きました。
サー・セフィロスの隣を歩く、というのは誰にでもできることではありません。
いえ、ぜんまいにしかできないでしょう。
というのも、サー・セフィロスは人とのコミュニケーションが
あまり上手くありませんから、どうしても相手が萎縮してしまうのです。
そのことに関してサー・セフィロスがどう感じているのかはわかりませんが、
ともあれ、細かいことを気にしないぜんまいは、
サー・セフィロスと並んでちょうどいい感じになるのでした。
サー・セフィロスとぜんまいは仲良く帰途につきます。
あたりの景色はまだまだ、兵舎の列が続いています。
彼らの勤めている神羅カンパニーは世界有数の規模を誇ります。
そのため、保有している従業員の数は計り知れませんから、
このように宿舎の敷地面積も広大なものとなるのです。
敷地内にはいくつか区切りが設けられておりまして、
サー・セフィロスとぜんまいが住んでいるのはソルジャー専用の区域です。
そしてソルジャー専用区域に行くためには広い一般兵専用区域を横切らなければ
なりませんでした。ソルジャーに一般兵を見張らせるためだとか
いろいろ言われているようですが、本当の理由はだれも知りません。
さて、ようやく、一般兵専用区域を抜けようかというときでした。
それまでぼんやりとぜんまいの話を聞いていたサー・セフィロスが、
はたと立ち止まったのです。
「どうした?旦那」
「………ぬれひよこがいる。」
だけどがーんーばれ ぬれひよこ ごぼうをーささがーきにしーてー
ふと、そんな曲がぜんまいの頭をよぎりました。
まさか、サー・セフィロスもマキハラノリユキをきいたりするのだろうかと
疑問に思いましたが、そういう問題ではありません。
一般兵の宿舎のそば、雨ざらしのところに、ぬれひよこが立ちつくしていました。
ちょうど、年は十代なかば頃。背は低いのですが、豪奢な金髪のため、
街頭の明かりがきらきらと反射して十分に目立っていたのです。
どれほどここに立っていたのでしょう、小雨のはずなのですが、
服も髪も遠目でわかるほどぐっしょりとぬれそぼっていました。
晩秋の頃、それはとても寒そうに見えましたので、
サー・セフィロスはだまって近寄り、ぬれひよこに傘をさしてあげました。
「……………」
ぬれひよこは、すぐにそれに気づきました。
そして、不思議そうに、サー・セフィロスをじいと見上げました。
サー・セフィロスも、それからどうしたらいいかわからなくて、
しばらくぼんやりとぬれひよこをながめていました。
「はいはいはい、おっさん、おっさん!」
妙な空間に突然割り込んできたのはぜんまいでした。
鞄の中からタオルを取り出して、ぬれひよこをふいてあげました。
そうですね、それが正しい判断です。
「あーあー、こんなに冷えちまって。こりゃ、シャワー浴びたほうがいいな。
一旦、会社戻るか。シャワー室まだあいてるだろ」
とても面倒見よくぜんまいがぬれひよこをふいてあげます。
それを少しだけうらやましそうに見ながら、
サー・セフィロスは時計を確認しました。
「……まだあいてるな。だがそれより、宿舎に戻ったほうが早くないか?」
「お、そりゃそうだな。おまえんち、どこだ?」
まるで迷子の子に話しかけるように、ぜんまいは聞きます。
きっと、大家族の長男なのでしょう。
「…………かえりたくありません」
ぼそりと、小さくぬれひよこはつぶやきました。すこしだけ、ななめ下を向いて。
「どうしてだ?」
「ケンカ……したから。友達と」
「なるほど、それで気まずくて帰れないんだな?
それじゃ、俺の部屋のシャワー使うか」
ぜんまいが自分の宿舎に向かおうとすると、
ぬれひよこはあわてて制止しました。
「だ、だめですそんなこと!俺、ひとりで会社行けますから」
相手がソルジャーなことに遠慮したようです。
ぜんまいはそれじゃあ、と言って、
「俺ら、会社までついてくから。いいだろ?それで」
ぬれひよこはそれでも不満そうでしたが、
あまり我を通しすぎてもいけないので、それで了解することにしたようです。
そしてさきほどから蚊帳の外なサー・セフィロスですが、
こちらは、あまり不満はなさそうです。
普段、面倒ごとを嫌うサー・セフィロスですが、それがなぜなのか、
まだ本人にもわからないようでした。
「う〜ん、さすがにドライヤーはないか。
ま、着替えがあっただけよしとするかな」
頭だけぬれたぬれひよこを見て、ぜんまいは言いました。
ついでにぬれひよこの頭をぺしぺしします。
ぬれひよこは、ちょっとだけ嫌がりました。
「で、これからどうするんだ?メシは食ったのか?」
ぜんまいがたずねると、ぬれひよこはふるふる首を振りました。
すると水滴が飛んでしまって、気づいたぬれひよこはすみません、
と謝りました。ぜんまいはそれを気にするふうでもなく、
サー・セフィロスと相談をはじめました。
「よーし、じゃ、こうしよう。セフィロスんち行って
きんぴらごぼうでも食べるか、俺らの行きつけの店に行くか。どうする?」
A.サー・セフィロスのおうちできんぴらごぼう
B.サー・セフィロスの行きつけのお店
ぬれひよこは困りました。どちらも、恐れ多かったからです。
でもさすがに家に入るのはまずいな、と思い、
結局行きつけのお店に連れて行ってもらうことにしたようです。
店に入ってから、やっぱり友達と仲直りしたほうがよかったかな、と
ぬれひよこは後悔しました。壱番街の大通りから少し小道に入ったあたりに
そのお店はひっそりとしたたたずまいでありました。
ウータイ風、なのでしょうか、木造づくりの、年季の入った建物です。
店内にはカウンター席がすこしあるだけでした。そして店長と思われる、
あたまにはちまきを巻いた、ちょっといかついおじさんがひとりいました。
ぬれひよこはこういうお店に入ったことはもちろんありません。
ですが、「高そうだ」ということは感覚的にわかりました。
そしてなにより驚いたのが、そのいかついおじさんが
サー・セフィロスを見るなり「よう、せっちゃん」と呼んだことです。
「せっちゃんって何?」という風にぜんまいを見ると、
「サーのことだよ」と教えてくれました。
いきつけのお店ってこういうものなんだとぬれひよこは感心したものです。
お店にはメニューがありませんでした。
小さなお米の上に小さく切った生の魚が乗った料理が出てきたのですが、
正直ぬれひよこにはおいしいと感じる余裕はなかったようです。
3人カウンター席に並んで食べたのですが、
何かしゃべるのはもっぱらぜんまいでした。
店に音楽は流れていませんから、
ぜんまいが何かしゃべらないと店内はしんと静まり返ってしまいます。
それがすこし、ぬれひよこにはつらかったようでした。
食事が終って、ぬれひよこが財布を出そうとすると、
サー・セフィロスが止めました。
「かまわない。オレが払う」
それにちょっとぬれひよこは驚いたようでした。
「え、でも……」
「一般兵の初任給は1万5千ギルだったな」
「あ、はい」
「オレの月給はだいたい30万ギルだ(このあたりがアバウトな英雄)。
だから、オレが払うのが普通だろう」
そうなのかな?と思いながら、ぜんまいのすすめもあって、
結局サー・セフィロスに払ってもらうことにしました。
そして、レジに出てきた数字にぬれひよこはやっぱり友達と仲直りを……と
繰り返すのでした。なぜなら、出てきた数字は5桁だったからでした。
「さあて、これから一杯飲みに行こうかねえ」
おなかが満たされて少々浮かれ気味のぜんまいが言うと、
サー・セフィロスがたしなめました。明日も仕事があるのです。
「大丈夫、ホントに一杯だけにするから。
それにあんなヘンな店で肩こっただろ。
今度の店は俺の行きつけのとこにするから」
そうして連れて行かれたぜんまいの行きつけの店は、
同じく壱番街にある、意外と落ち着いた雰囲気の良い店でした。
そこでサー・セフィロスは冷酒を、ぜんまいはジントニックを頼みました。
一方、ぬれひよこがメニューとにらめっこして困っていました。
ぬれひよこは、友達との宅飲みで出るチューハイ以外
飲んだことがなかったのです。そこでぜんまいが
「やっぱ初心者にはコレだろ〜」と言って、
カシスオレンジを頼んでくれました。出てきたお酒は、
赤とも紫ともつかない妙な色をしていましたが、
飲んでみるとほとんどオレンジジュースのようなもので、
ぬれひよこは安心して、両手でコップを持ってちびちびと飲みはじめました。
ほかの二人も、ちびちびと、だまって飲んでいます。
白熱灯のあたたかさのおかげでしょうか、ぬれひよこは、
さきほどのような居心地の悪さはあまり感じなくなっていました。
小さなコップを運ぶサー・セフィロスの手元をながめながら、
きっと、これがこの人たちのスタイルなのだろうと思っていました。
いつのまにか、サー・セフィロスの手が止まっています。
気づくと、サー・セフィロスがずっとぬれひよこを見ていたのでした。
顔を上げた拍子に目が合ってしまって、
すこし恥ずかしそうにぬれひよこは視線を落としました。
「すまなかったな」
突然、サー・セフィロスが口を開きました。
「え?」
「いろいろ連れまわしてしまって」
「い、いえ!俺のほうが、帰りたくないってわがまま言ってしまったから」
ぬれひよこは少し混乱気味に言いました。
おろろ〜ん、とふたりのやりとりをぜんまいは興味深げにながめています。
サー・セフィロスが、こんな殊勝な言葉を口にするのはめったにないことです。
それを皮肉ってやろうかとも思いましたが、やめておきました。
おそらく、本人も気づいてないのでしょうから。
店を出ると、もうずいぶんな時間になっていました。
「もう帰れるか?」とサー・セフィロスが問うと、
ぬれひよこはうなずきました。そこで、
サー・セフィロスとぜんまいは送っていくことにしました。
並んで歩く2人に、遅れないようにとてとてぬれひよこはついてゆきます。
2人も、ぬれひよこが遅れないように歩幅を調整してくれます。
吹き抜ける風に肌寒さを感じます。ぜんまいが盛大なくしゃみをしました。
「そろそろ、鍋でもしたいなあ」とぜんまいが鼻をすすりながらぼやくと、
「それなら今度白菜を買っておこう。3人で鍋を囲むのも悪くない」と
サー・セフィロスが言いました。ぬれひよこは、
サー・セフィロスが白菜という生活的な単語を口にしたことよりも、
自分をおそらく鍋のメンバーに入れてくれているのだろうということに
驚きました。
そして宿舎の前、別れ際、サー・セフィロスは
ぬれひよこの頭をぽふぽふしました。そして、
「もう乾いたな」と笑いました。もう、とっくに乾いていたんですけどね。
ぬれひよこは、びっくりして、そしてちょっとうれしかったのです。
ぬれひよこは、いえ、もうぬれひよこじゃありませんね。
「おまえ、名前は?」
はじめて、サー・セフィロスは名前を聞きました。
「クラウド・ストライフです」
「……そうか。また、会えるといいな」
もう一度、笑って、サー・セフィロスとぜんまいは帰ってゆきました。
その姿を見送って、クラウド・ストライフは、自分の頭に手を乗せて、
ぽふぽふしました。そして、ふふ、と笑いました。
確かに、サー・セフィロスは酔っていました。そしてまた、
クラウド・ストライフも、酔っていたのかもしれません。
たった一杯のカシスオレンジによって。
この数日後、サー・セフィロスは正式にクラウド・ストライフに
お付き合いをもうしこむことになります。でもそれはまた、別のお話。
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