NANAKI


くすん、くすん、……かあさん、かあさん……

あらあら、どうしたのかしら。こんなに腫らして。

くすん、………あいつらに、言われた。………二本足じゃないって。

あら、それのどこがいけないの?
かあさんは好きよ。おまえと同じ四本足。
かあさんは好きよ。おまえと同じあかい毛並み。

……オイラも好きだよ。かあさんと同じあたたかいしっぽ。
オイラも好きだよ。かあさんやとうさんと同じやわらかい肉球。

誇りに思っていいのよ、ナナキ。
この身体は、コスモキャニオンを守る戦士のあかし。
はやく大人になって、強くなりなさい、ナナキ。
おまえのとうさんのように。


それはもうずいぶん昔の話
世界のすべては暖かかった
母の懐がすべてだったころ

コスモキャンドルがきえた時
私の世界は開けただろうか
それはもうずいぶん昔の話。



「ナナキ、ナナキ!ここにいたの?」
その日の夕刻、あわただしくナナキの部屋にかけこんできたのは、ひとりの少女だ。名をファティマという。
年は15あまり、くせのある赤毛、日焼けした肌が奔放さを表している。彼女はナナキの一番の遊び相手である。 ファティマはナナキを弟のように可愛がり、ナナキはファティマを姉のように慕っていた。 ギ族との戦が予想される中、夕方以降子供が家を出ることは禁止されていたが、 彼女は「ホントにあぶなかったらやめるから。」と気にも留めずにナナキのもとによく遊びに来ていた。
「なに?ファティマ。今、とうさんもかあさんも出かけてるし
 外に出ちゃいけないんでしょ?だったらほかにいるとこがないじゃない。」
ナナキは部屋の中央、彼の定位置にうずくまったままだ。しっぽだけが所在なさげに動いている。ファティマは苛立たしげにまくし立てた。
「ちがうよ、コスモキャンドルが消えたの!
 大人の人みんな、広場に集まってるよ」
「じゃあ、かあさんもいるの?」
思わず、ナナキは飛び起きた。ファティマは聡い。その様子に、母親がおらずに不安だったのだとファティマは推測した。
「ねえ、広場のぞきに行こうよ。コスモキャンドルが消えるなんて、
 めったにないことだもの。コスモキャニオンから出なきゃ大丈夫だよ。
 あんたのだいすきなかあさんもいるだろうし」
ファティマが少しばかり皮肉気に言うと、寂しさを認めるのが悔しいとばかりにナナキは一吠えした。


部屋を出て広場を覗けるところまで来ると、コスモキャンドルが本当に消えていることが確認できた。 いつもあるものが無いというのは予想以上に違和感のあるものだった。 そのせいだろうか、いつもの広場がうって変わって恐ろしく見える。 男達の大半は広場に集まっていた。ナナキの母親の姿も見える。しかしなぜか父親は発見できなかった。 夕闇で薄暗い所為かもしれない。
静かだった。しかし広場にいる彼らからは明らかにいつもと違う気配を放っていた。 ナナキの嗅覚はぴりぴりとしたそれを敏感に感じ取った。途端、ナナキはここにいることが恐ろしく思えてきた。 彼らの発する重苦しい空気それ自体が鋭利な針となってずたずたにされるような感覚がしたのだ。 それを知覚するが早いかナナキは走り出していた。
「ちょっと、ナナキどこ行くの」
隣に居たファティマはあわてて追いかけた。ナナキは彼女を振り向くこともせず一心に駆けた。
コスモキャニオンの外に向かって。

既に日は落ちていた。
コスモエリア独特の赤土、ざくざくと掘り起こすようにナナキは歩いていく。 その後ろ、一定の距離を保ってファティマがついてきていた。 ナナキが歩みを速めればファティマも速める。逆も同様。 ナナキについて行きながら、後ろから根気よく話しかけた。
「ナナキってば、なに拗ねてるの」
「なんでもない!」
「なんでもなかったら、どうして無断で外に飛び出したりするの?
 もう、まっくらだよ。帰ろ?」
「ファティマだけ帰ればいいでしょ?」
ナナキはにべもなかった。しかしナナキのわがままにいつもつき合わされているファティマとしては ここで引き下がる理由は無かった。察しの良いファティマは尋常でなかったコスモキャニオンの人々に ナナキがおびえていることに薄々気づいていた。だから彼女は極力いつもと同じ「お姉さん」として ナナキに接するように努めた。
「わかんないかなー。危ないっていってるの!
 今、すごく危ないって、大人見てればわかるでしょ?
 あんた、ほんとガキなんだから」
「ガキでいいよ!」
「ほら!そういうとこが……」
言いかけてファティマははたとナナキの異変に気づいた。
「…………………………ナナキ、泣いてる?」
ナナキはついに立ち止まり、肩をすこし震わせた。
「みんな大人だから戦うの?
 みんな大人だからこわい顔してるの?
 だったらオイラ大人になんかなりたくないよ」
「…………」
ファティマは静かにナナキに歩み寄ると、後ろから、ナナキを抱きしめた。
「ナナキはまだわからないかもしれないね。
 みんながいつもとちがうからっておびえることはないよ。
 いつもとちがうのは、それが今は必要だからなんだ」
しゃくりあげる音がした。それから、ひ、ひ、とか細い声が断続的に続いた。
「うん、いまは、何もいわなくていいよ」
ファティマがそういうと、ナナキは一度だけ頷いた。


それからしばらく経っただろうか。急に、ナナキの耳がぴくんと反応した。
「なに?ナナキ」
「…………何かいる」
ナナキの心音は早くなっていた。良くないものが近づいている。 そしてこの状況下において、それはギ族が側まで来ていることを示していた。
「ギ族?」
ファティマの問う声に、ナナキは頷いた。やや離れたところにある岩山をナナキは示した。
「多分、あそこの辺りだ。暗くて、よく見えないけど、あっちから音がした」
そのときだった。ひゅん、と音が耳元をかすめたのは。
「……ちがう!近くにいる!!」
飛んできたのはギ族の弓矢だった。ファティマがあわてて周りを見渡した。 しかしもう暗くてよく見えない。周りには岩山がいくつもある。どこに敵がいるのかもわからない。
(……怖い)
ナナキは目を凝らし、耳を澄ました。しかし相手の気配を感じることはできない。 ただ自分の心音だけがばくばくとうるさく耳に響いた。
(怖い、怖い、怖い!)
ナナキはついに恐怖に負けた。コスモキャニオンのほうへ駆け出したのだ。
「ナナキ、待って!」
ファティマの声が聞こえた。しかしナナキは既に聞く耳を持たなかった。 またひゅん、と音がした。だがもうナナキにはわからない。ナナキはなりふりかまわすがむしゃらに走った。 どれだけ走っただろうか、ナナキの前方にいくつもの影がこちらに来るのが見えた。 それはコスモキャニオンの男達だった。影のひとつが息きらせながらナナキ!と叫ぶのが聞こえた。
「ナナキ!なにをしているんだ、こんなところで!」
男は武装していた。おそらくさっきのギ族と戦いに出たところなのだろう。
「え……あ………」
ナナキは混乱して満足に思考することができなくなっていた。男はかがみこみ、ナナキを怒鳴りつけた。
「どうして外に出たんだ!ここはおまえのような子供がくるところじゃない!」
「……子供……」
「ああそうだ、まだ戦えないだろう!まったく、セト様がいないのに……!」
ナナキは自分の父親の名が出てきたことに反応した。
「とうさん……いない?」
ぽつりと言うと、男は一瞬だけ気まずそうな顔をし、言葉を濁した。
「……とにかく、コスモキャニオンに戻るんだ。あっちに向かって、走れ。
 いいな?行け!」
男がナナキの尻を叩き、ナナキは走り出した。
風を切る音、影、叫び、衝撃、砂の感触、また影。
走るナナキには、さまざまな情報がなだれ込んでくる。恐ろしいほどに。 しかし影ばかりの中走りながら、それらはすべてどうでも良くなっていった。



あらあら、どうしたのかしら。こんなに腫らして。


……かあさん。どうしてとうさんはここにいないの?
かあさん。どうしてとうさんはここに来てくれないの?



「……かあさん?」
目を開けると赤茶色の天井が目に入った。
「あ、目を覚ましたかしら」
ナナキの顔を覗き込んだのは母親ではなく、武器屋のおばさんだった。
ナナキは部屋の様子を見ようと身体を起こそうとしたが、鎮痛剤でもうたれたのか ひどくだるくて、ナナキは自分の体重分を持ち上げることを断念した。そうしてなんとなく天井にはいった ひびの数を数えていると、左腕のあたりにひんやりとした布があてられた。
「よかったわ。よくで帰ってきたわね。ナナキ、矢が2本刺さってたのよ。
 本当に、生きてて、よかった」
よく見ると、おばさんの目は赤く腫れていた。その理由を、ぼんやりした頭ながらナナキは正しく理解した。
「相当走ったのね、足がひどく腫れていて。しばらく歩けないわよ」
「……かあさんは?」
「…………」
「……ファティマは?」
武器屋のおばさんはしずかに、ひとことだけ言った。
「あのひとたちのことを、忘れてはだめよ」



……それからだろうか。私は「大人」になりたいと願った。
あのときほど、子供の自分が憎らしいと思ったことが無かったからだ。
そして私は肝心なときに、みっともなく逃げ回った。
その罪悪感を父親への憎しみに摩り替えずにはいられなかった。



そしていま。
「……とまあ、オイラの昔話はこんなもんかな」
「なんでそこで急に話し方が変わるんだ?」
クラウドがあきれ顔で笑う。
「なつかしい?」
「いや、相変わらずだと思って」
「そう?あの旅から何年たつのかな……最近ではもうあまり、
 この話し方しないんだけどね。オイラもコスモキャニオンの古株だから」
ナナキが昔を振り返るようにしみじみと言う。そして、この口調が少し恥ずかしかったのか、 後ろ足で耳の後ろをこりこりと掻いた。その仕草はなぜかひどく猫に似ていて、クラウドは 思わず顔をほころばせた。
「そうか……で、結局、今のナナキは子供なのか?大人なのか?」
ナナキはしばし考えた後、はっきりとこう答えた。
「オイラは子供でも大人でもいいんだよ。
 オイラはオイラで、私は私で、ありたいようにあるだけなんだから」


ナナキにあるひとことを言わせたくて書いたもの。
とても力不足を実感。
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