8.英雄が生まれた理由 午前10時半、マリーは普段より随分と重く感じる身体を引きずり、 宿を出た客の部屋のシーツを取り換えに回っていた。 今朝方に見たものの所為で今日は積極的に仕事をする気になれない。 シーツ交換を終えたら、あとの仕事は女中や奴隷に任せて大人しく横になりたかった。 しかし2階に上ったところで、廊下を彷徨う怪しい影を認めてマリーは眉をひそめる。 その人影は宿が降雨時に客に貸し出している雨よけのフードを目深に被っていた。 ただ、その小柄な体躯から彼女はすぐにこの不審人物の正体の目星をつけることが出来た。 「ぼっちゃん…?あんた、ぼっちゃんだね?」 正体が判らないようにわざわざフードを被ったのだろうが、あまり不用意に出歩かない方が良いと、『セフェリスだけでも』見つからない方が良いとマリーは思い、 部屋に帰そうと足早に歩み寄る。しかしフードで隠された顔を覗き込んだマリーは咄嗟に驚愕を隠せなかった。 セフェリスの相貌は無残にも蒼白で、完全に色を失っていたからだ。 「マリーおばさん……グレミオが…グレミオがいないんだ。さっき目が覚めたら、部屋からいなくなってて……」 「あ、あの子は……っ」 あの光景が、吐き気をもよおすほどの残虐で凄惨な光景がマリーの脳裏に蘇り、 抱えていたシーツが腕からこぼれ落ちる。表情を強張らせたマリーの様子から何かを察したのか、 セフェリスは彼女にしがみつき、鋭く切羽詰まった声をあげた。 「知ってるの!?グレミオはどこにいるの?不安で心が折れそうなんだ……グレミオがいないと、ぼくは…!」 今にも気がふれてしまいそうなほどに狼狽えているセフェリスをマリーは沈痛な面持ちで見つめる。 詳細な顛末などマリーは知る由もないが、推察なら出来た。 少しでもセフェリスにとって優しい言葉を探るものの、彼女は残酷な嘘がつけない人間。 最悪の結果を正直に教えるより他はなかった。 「……いいかい、落ち着いて聞くんだよ……?」 マリーは事実から目を背けたい欲求を懸命に押し殺し、少年の瞳から視線を逸らさずに告げた。 「…あの子は今朝早くに、中央広場で処刑された。テオ将軍殺害と、 …ぼっちゃん…あんたをさらって暴行したという罪で……」 その言葉を聞いた途端セフェリスは顔面を凍り付かせ、はじけ飛ぶように動いた。 駆け出そうとする少年の肩をマリーがすかさず掴んで引き留めようとするが、 その手を強引に振りほどいてセフェリスはもつれるように危うい足取りで走り始めた。 「おやめ…ぼっちゃん!!」 宿を出るセフェリスの後をマリーは全力で追う。外は小雨がぱらつき始めていた。 性急に激しくなる雨脚によって人々は色めき立っており、 家路を急ぐ彼らの流れに逆らいながら二人は広場に向かって駆けた。 人通りのほとんど無くなった石畳の道でセフェリスは幾度も転倒し、 そのたびマリーに追いつかれかけて、そのつど彼女を振り切って、 すりむいた膝や腕の痛みも降りしきる雨の冷たさも感ぜずに。 遂に広場に着くと、目に入った雨の所為で曇った視界がうっすらと刑場をとらえた。 そしてそれ以上、彼は進むことが出来なかった。 「…、……ぁ、…っ」 へたり、と刑場前で座り込んでわなわなと震え始めるセフェリスの口元を、 マリーがすかさず手のひらで塞ぐ。既に彼女も全身びしょぬれだった。 手のひらでセフェリスの不規則な息の振動を如実に感じ取り、あまりの痛ましさにきつく瞑目せずにはいられない。 「叫んだら…叫んだら駄目だよっ……誰が見てるか判らない、下手に人目につくと捕まってしまうからね…!」 セフェリスはもはや抵抗しなかった。瞳から頬へ脈々と続く流れは雨よりも幾分温かい気がして、 けれどもう雨粒と涙の区別など誰にもつかないだろう。 口を塞がれて踏みつぶされた蛙のようなくぐもった悲鳴がいつまでも漏れ続ける、 しかしそれすらも強い雨音によって掻き消された。まさに号泣、されど哀愁、しかしそれも唯の妄執。 降りしきる冷ややかな雨が体温を奪っていく。 やがて精根尽き果てた様子のセフェリスは糸の切れた傀儡のように力なくうなだれ、 言葉にならない絶叫が止んだ頃合いを見てマリーが恐る恐る口元から手を離す。 泣きじゃくっている少年、泥が付着したフードを直してやりながら、マリーは辛そうに語った。 「…公開処刑は私も見たんだ…酷かったよ、この国は奴隷に一切の慈悲を与えない。 生きたまま火あぶりさ。可哀想にあの子、何度も悲鳴をあげて……処刑後こうして3日2晩さらし者にして、 他の奴隷を威圧する意図が上にはあるんだろうけどね、奴隷達の不満は上がる一方だよ… 暴動が起きないのが不思議なくらいだ」 セフェリスは改めて顔を上げ、変わり果てたグレミオを見つめる。反射的に涙が零れた。 濁り切った瞳ではほとんど遺体の有様は見えなかったが、少年にとってはその方が幸せだったのかもしれない。 「ごめん、ごめんね……こんなに焼かれて、熱かったよね、痛かったよね、苦しかったよね……」 「ろくな事情捜査も行われずに刑は執行されたんだよ……テオさまの死因は火傷なのに、 現場にはそこまでの火の気が無かったって噂だ。ただあの子が自供した、それだけの理由で火刑にするなんて……」 ひたすらに打ちひしがれるセフェリスは、マリーの言葉によってグレミオの意図を確信した。 薄々感づいてはいたのだ。なぜならグレミオは優しいから。そう、救いようのないほどに。 「グレミオは優し過ぎた……父さんを殺したのはぼくなのに」 「え…」 咄嗟に瞠目するマリーに向け、セフェリスは罪の証である右手を差し出した。 その甲に刻まれるは、火影にも似た紅い紋様。 「ほら見て、火の紋章……これで父さんを……グレミオを殺そうとした父さんを止めたくて…… ぼくはさらわれたんじゃない、一緒に逃げただけだ……ぼくは…グレミオと一緒にいたかったんだ……」 「じゃあ……あの子は嘘をついたのかい…?」 「そう。ぼくを死なせたくないあまりに、総ての罪を被ったんだよ…グレミオは……」 マリーもまた、グレミオの亡骸をじっと凝視する。 奴隷という生き物がここまで強い信念を湛えうるなんて彼女は思っていなかった。感慨深く囁いた声が、僅かに揺れる。 「……あの子は、心底あんたを愛していたんだね……命を捧げるほどに、 奴隷であるがゆえの残酷な運命を、全部受け容れてしまうほどに……」 「奴隷は虐げてもいいなんて、あまりにも不条理なこの世界……」 マリーの双眸が映す像がみるみるうちに霞んでいく。いくら瞬きを繰り返しても、 涙だか雨だか定かでないものがただただ溢れ落ちるだけで、きりが無かった。 「無念だったろうに。あの子は赦してしまったんだね……」 しかし、この悲劇は自己犠牲などという美談で終わるはずがない。 セフェリスの意識を喰い荒すどろどろとした怨嗟の炎が、これまで積み上げてきた摂理への疑心や反逆心と結びつき、 やがてひとつの形を成した。 「…だけど、グレミオ……ぼくはこの世界を」 「……ぼ…っちゃん?…あんた……」 セフェリスの纏うどす黒い気配にようやく気付いたマリーが彼を見て目を見張る。 そこには先ほどまで弱弱しく泣いていた子供はおらず、一人の修羅が立っていた。 「グレミオ。ぼくはこんな世界を、決して赦したりしない……!!」 癒されることのない哀しみを、憎しみで燃やす。その炎は怨むべきもの総てを焼き尽くすまで消えはしない。 セフェリスには分かっていた、愛しい彼がどんなに強い無念を抱えて息絶えたかを。 誰に教えられるわけでもなく、セフェリスだけには分かっていたのだ。 かくして、少年の復讐劇は人知れず幕を開けた。これより約一年後、 各地の奴隷を結集させた反乱勢力が帝国に牙を剥くこととなる。 奴隷達を率いるは緋色の衣を纏った若き英雄。後の世で『トラン奴隷解放戦争』と呼ばれる激動の時代、 熾烈な戦いの始まりであった…… -あとがき- もの/の/け/姫のヤックルの献身を観て思いついたお話。 タイトルはしっくりくるものが思いつかなかったので、 サウ/ン/ドホ/ラ/イズ/ンの曲名より拝借しました。 曲名のみならず、ラスト数行等はかなりサンホラの影響を受けています。 今回はとにかくパラレルの難しさを痛感しました。 そして、グレミオに対する愛ゆえの残虐描写が多いお話です。 でも某ワ/ンピ/ー/スのような、 想像だけで背筋を凍らせるスゴイ描写とは違って、 基本は事実を客観的に説明するような描写を心がけました。ただ例外はあります。 また、グレミオの死に際の台詞はゲームでの復活シーンを参考にしました。 でもあの台詞は、生き返らなければ本当に救いが無いのだと痛感…… 結果的に私のソニエールの解釈のうちの一つが組み込まれたお話になりました。 |