6.美しくもひずんだ楽園で

テオに急いで遠くへ逃げるよう指示されたものの、二人がそれを実現するのはほぼ不可能に近かった。 この帝都においては、脱走を防ぐため夜間のうちは奴隷の出入りが厳しく制限されている。 奴隷の証である左腕の刺青はもちろんグレミオにも刻まれており、門から脱出を試みるのは甚だ現実的ではなかった。
「マリーおばさん……」
「どうしたんだい?こんな夜に…それにぼっちゃん、顔色が悪いよ……?」
明日以降どうするかを考えるよりも先に、まず人目につかぬ潜伏場所を探すことが第一と判断した。 身を隠すだけの場所を持ち、かつ無条件で信頼のおける人物にセフェリスは助けを求めた。 宿屋の女将、マリーのもとへ。
「…少しの間ぼく達をここに泊めて欲しいんだ。でもあまりお金を持ってなくて……」
着の身着のままで逃げてきた為に所持金はほとんど皆無。マリーには申し訳なく思うが、 それでも他に行く宛が無いのが事実だった。
「え?まぁ構わないけど……隣の子は…確か奴隷の…」
「グレミオだ。……マリー…ぼく達が此処にいることを、誰にも話さないで欲しい」
セフェリスの憔悴した様子から、ただ事ではないのだとマリーは察する。 彼らをかくまうことが大人として正しいことなのかマリーには判断出来なかったが、 追い詰められた風のセフェリスがこれほどに純粋な信頼を寄せてくれているのだ。 小さな頃から可愛がってきたこの少年の想いに、応えたいと彼女は思った。
「……。わかったよ。何か事情があるんだね……話してくれた方が嬉しいけど、そこまでは求めないさ。 とりあえず屋根裏の部屋を使っておくれ」
「…ありがとう」
マリーに案内された屋根裏部屋の狭い空間は、普段使用されない為か少しほこりっぽく、 ひとつ置かれた寝台のシーツも清潔とは言い難い。 それでも夜露をしのげるうえにしばらくは潜むことが出来る、マリーの優しさがこの上なく身に沁みた。 新しいシーツを敷いてくれた彼女が部屋を出て行くと、 青ざめた頬をして立ち尽くしているセフェリスにグレミオが提案を試みる。
「ぼっちゃん……夜が明けたら、折を見てソニアさまかミルイヒさまのお屋敷を訪ねましょう。 もしかしたら、力を貸して頂けるかもしれません……」
「………いや…」
セフェリスは硬い表情のまま首を振った。彼らと親交が厚かったのは自分ではなく、あくまでも父だ。 その父を殺した張本人を彼らが庇ってくれるとは思えなかった。 下手をしたらそのまま捕えられかねない。かといって、ずっと此処に隠れ続けるにも限界がある。 どの道を選ぶにせよ、相当危険な橋を渡らなければいけないのは間違いないだろう。
「…ぼっちゃん……?」
突然、セフェリスが倒れ込むようにグレミオの胸に体重を預けてきた。 驚いたグレミオが思わず肩を掴むと、セフェリスは掻き消えそうなか細い声でグレミオに訴える。
「抱き締めて。…怖い……震えが止まらないんだ……」
無理もない。実の親を手にかけてしまったショックもさることながら、 テオの死が明るみに出れば近衛隊が躍起になって犯人を捜すだろう、 姿をくらましたセフェリスは最も疑わしき者として瞬く間に追われる身となる。 グレミオは無力な己を悔やみながらもセフェリスの躯をそっと包み、癒すようにその背を幾度となく撫ぜた。
「大丈夫です……きっと何とかなります。テオさまは、事故で亡くなられたのですから。 あれは事故だったんです……だって、ぼっちゃんには殺意なんて」
殺す気が無かったのならそれは殺人ではなく傷害致死に過ぎず、 たとえ捕えられたとしても減刑が期待できる。しかしセフェリスはグレミオの言葉を強引に断った。
「無かった、って言い切れない。だってぼくは、グレミオの為なら……誰だろうと殺せてしまう。 本気で、そう思ってる……」
「…ぼっちゃん……」
赦しを乞うつもりなど最初から無い懺悔を、セフェリスは告白する。 グレミオの背に両腕を回し、痛みを感じるまできつく掻き抱いても痙攣は納まる気配を見せない。
「ぼくは酷い人間だ。父さんを殺してしまったこと、確かに悔やんでる。 でも、あのままグレミオが斬られるくらいなら、 たとえ過去までさかのぼって何度あの場面を繰り返したとしても、その度にぼくは必ず父さんを殺めてしまうだろう」
するとセフェリスは顔を上げ、グレミオと視線を絡ませる。その瞳には、既に涙が滲んでいた。
「何故だか分かる?ぼくの世界はおまえで始まっておまえで終わっているからなんだ…!」
「ぼっちゃ…!ん、ぅうんっ……」
グレミオの頭を捕え、有無を言わさず唇を奪う。 セフェリスにとって初めてのディープキスは青臭くどこか暴力的で、 高揚というよりは焦燥を呼ぶ類のものだった。たちまち二人の呼吸は乱れ、 拍動は早く強くなっていく。あまりに唐突な出来事にグレミオの頭の中は真っ白で、 この口づけが長かったのか短かったのかも俄かには判別出来ず、 唇を解放された彼は空白な心のままセフェリスの痛々しい失笑を視界に収めた。
「……愛してるよ、グレミオ。ずっと不自然なカタチで抑圧されていた想いが決壊して、 痛いほどに張りつめていた糸が切れて、発狂しそうな質量の感情が溢れてくる。 怖いけど、この奔流に身を委ねることがどんなに幸せなことなのか、…気づいちゃった……」
ひび割れた微笑を湛えたセフェリスはバンダナを取り去って、床へと落とす。そして、 おもむろに自らの着衣に手をかけた。
「声は、できるだけ出さないようにするから……」
つ、と頬の上を雫が伝っていく。果敢ない宝石にも似たその涙を、本能的にグレミオは愛したいと願った。 目の前で震えている少年を、衝動的に抱きたいと願った。気づいたときには既に、ベッドの上で相手を組み敷いていた。 誰かを抱く側の立場になるなんて、考えたことも無かったのに……

「ぼくと一緒に……地獄に堕ちようね…?」



古びた寝台をきしませて、一糸纏わぬ一対の獣が一心となってその身を深く絡ませあう。極めて情熱的な前戯だ。 荒い呼吸を交わし、喘ぎ声を噛み殺し、互いの熱をひそやかに、それでいて貪欲に求め続けていた。 何もかも忘れて乱れたい。眼前の断崖から目を背けて、今はただ想い人だけを見つめていたかった。
セフェリスの蕾はグレミオのすらりとした中指と薬指を奥深くまで飲み込んで、まるで誘うように蠢いている。 グレミオは執拗なほどに内部を慣らしつつ、同時に少年の全身に唇を落としながら愛撫を加えていく。 セフェリスがキスを強請れば濃厚な口づけを繰り返し与え続けた。
「ぁ…ん、っ……そこ、感じる……」
セフェリスのよがる仕草はグレミオの劣情を狂おしく掻き立て、次から次へもっと深くまで貪りたい思いに囚われ、 まるで蟻地獄にとらわれたように底無しの欲求から抜け出せない。 重度の興奮の所為か、先ほどからずっと視界が酷く霞んでいる。
もう十分間以上に渡って後ろを慣らしながらも、更に高みを目指したい衝動に幾度か駆られた。 しかし、そのつど不自然な強い『つかえ』を感じ、ペニスの挿入を躊躇ってしまう。…なぜ?
なぜ、こんなにも震え続けているのだろう―――
  “ココが弱いみたいですね……それでは、こう…”
  “……っ!”
  “コレがイイんですか?ほら、もっと、ほぉら…”
  “アアッ…!!”
  “こんなに縛られても感じるなんて……本当に淫乱な子ですねぇ”
「グレミオ、もういいよ。もういいんだよ…もう……!」
「…ぼっちゃん……!?」
突如ぐらりと世界が反転し、気づくと二人の身体の位置が逆転していた。 セフェリスがグレミオを力ずくで押し倒したのだ。困惑するグレミオの腰を跨ぎ、 うっすらと涙の浮かぶ悲痛な笑みを醸し、上からグレミオを真っ直ぐに見下ろしながら、 次々と溢れ出る雫をそっと指でぬぐってやった。
「もう泣かなくていいんだよ…グレミオ……」
「……?」
グレミオは思わず言葉を失う。セフェリスを愛撫しながら自分がずっと泣いていることに気づいていなかった。 そう、確かに泣いているのだ。震えて泣きながら『飼い主』から受ける性的暴行の記憶に怯えていた。
「こうしてると、思い出しちゃうんだよね?…過去を…辛いと思う感覚さえ麻痺してしまうくらいに辛かった過去のことを……」
「…わ、私は…そんな……!」
かつて性奴だったことは一度たりとも口にしたことは無いはずだ、 セフェリスに軽蔑されたくないあまりにずっと秘密にしてきたのだから。 けれどそんな危惧も、愚かな杞憂だとセフェリスは教え示してくれた。
「…ごめんね、こっそり父さんの資料を調べたんだ。グレミオのこと、もっと知りたくて。 ここに来たばかりの頃のグレミオは、ぼくが身体に軽く触れただけでもすくみ上がってたよね? …その記憶と繋ぎ合わせたら、ミルイヒ将軍達からどんな酷い虐待を受けていたのか、なんとなく…知ることが出来た」
グレミオの目じりに唇を落とし、零れ続ける涙をぺろりと掬い取る。そして次にセフェリスは信じられない行動に出た。
「でも解ってくれる?『これ』は虐待なんかじゃない。真逆の行為だ」
「ぼ、っちゃん…!ア…ッ……」
グレミオは耐えきれず小さな嬌声をあげる。セフェリスがグレミオの昂ぶりに手を添えて自らの蕾へと導き、 そのままゆっくりと腰を沈め始めたのだ。指2本で散々慣らしたとはいえ初めて受け容れるその場所はきつく、 セフェリスは少しだけ眉根を寄せる。
「ん……っ…」
微かな呻きを漏らしながら慎重に腰を落とし、やがて総てを収めきるとセフェリスはか細く息を吐いた。 その吐息は喘ぐように苦しげで、グレミオの罪悪感を煽る。セフェリスのなかは嘘みたいに熱く、そして狭かった。 自分はこんなにも気持ちいいのに、セフェリスは……
「ぼっちゃん……痛くないですか?辛くないですか…?」
どこまでも纏わり付く罪の意識に苛まれ、グレミオは涙声で語りかける。 しかしそんな彼を癒してくれたのは、陶酔感で塗れた極上の笑顔だった。
「平気だよ…すごく幸せ……」
「…幸…せ……?」
惚けたグレミオは瞬きを繰り返すと、そのつど涙が滑り落ちていく。 その軌道をセフェリスは何度も指先でなぞり続けた。
「初めてだからちょっと痛いけど、全然辛くない。ひとつだけ辛いのは、それでもまだグレミオが泣いてること」
「あっ……ごめん…なさい……」
グレミオはまだ恐怖心が完全に拭えないでいる。 長年に渡る虐待経験の所為で骨の髄まで沁みこんだ恐れは容易くはほどけない。 けれどセフェリスはグレミオの精神を自由にしてやりたかった。思うままに解き放ってやりたかった。
「ぼくが止めてあげる。グレミオが泣かなくなるまで、一緒に幸せを感じられるようになるまで、 何時間でも何日でも付き合うからね」
そう言葉を区切ると、少し考える仕草をしてから挑発的に笑いかけた。
「…ううん、ちょっと違うかな。グレミオが嫌だって言っても、離してあげない」
そしてゆっくりと動き始める。腰を上下させ、揺らし、締め付けて。セフェリスの未成熟な痴態はまるで、 さなぎからの羽化を思わせる。その艶姿から一瞬たりとも目を逸らせない。 淫らな蝶は徐々に羽を広げ、その動きはいっそう大胆に、その瞳はどこまでも無垢に。
「はぁっ…ぐれみお……気持ちいい?ぼくの、なか……っ」
「ええ……すごく……」
乱れゆく二人の呼吸。弱い箇所に刺激を受けると少年は息を詰まらせ何度も震える。 グレミオを良くさせたい一心で腰を振っていたセフェリスだが、 いつしか自らも未知の快楽に溺れかけてしまっていた。潤む瞳でグレミオを見下ろし、舌足らずな声で問いかける。
「ぐれ…っ……ねぇ、しあわせ?…ゃ、んっ……今、しあわ…せ?」
「…っちゃん……私は……っ」
その問いに、グレミオは数瞬間だけ声を詰まらせた。咄嗟に返答出来なかったのだ。
―――“しあわせ”。
淋しい躯が母の優しい香りに抱かれたような、凍える肌が春の柔らかな日差しを浴びたような、 “しあわせ”という不思議な感覚。そんな概念自体、 奴隷として生きる限りは永久凍土に埋もれた化石のような存在だったはず。
けれど、4年前にセフェリスと寄り添って眠ったとき、自分は確かに感じたのではなかったか? 有り余るほどの幸福感を、気の遠くなる陶酔感を。根雪を融かしてくれたのは、 他でもなく眼前の少年。そして今もまた……
「……幸せです。ぼっちゃん、私は今…とても幸せ……」
溢れ出た新たな雫が再び零れ落ちてしまう。けれどもう罪悪感なんて無い。 顔を見れば分かるはず。この涙は、決して怖いからではないのだと。


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