「いってらっしゃい、ぼっちゃん。夕飯までには帰ってきてくださいね」
そう言って微笑みながら、何度セフェリスを送り出したことだろう。そして何度、 そのつど襲い来る胸の疼痛を押し殺してきたのだろう……
夕飯までに帰ってくるなんて、無理に決まっている。このごろ頻繁にセフェリスを迎えに来る新同盟軍のリーダー、クラリス。 ここグレッグミンスターから彼の居城までの道のりは遠い。 バナーの村までの峠道を越えるだけでもかなりの時間を要する。 帰りはビッキーのテレポートによって一瞬で送ってもらえるとはいえ、 一旦出かけてしまうとおよそ数日間、長くて数週間、屋敷に帰ってこれないのが常だった。
それを知りながら、グレミオは毎回言ってしまう。『夕飯までには帰ってきてくださいね』。 唯のわがままなのだと、わかっていても。だって、 セフェリスに食べてもらえないシチューなんか作ったところで、味なんてしないから……
グレミオを苦しめている、セフェリスへと向かうこの気持ち。 その感情に名前をつけることが出来たのはつい最近のこと。 その想いは一体いつ生まれたのだろうか……昔から、 グレミオにとってセフェリスは命と引き換えにしてもいいほどの大切な存在だった。 弟のように、息子のように、有り余るほどの愛情を注いできた。
しかしいつしか、…そう、グレミオが死の世界から此岸に呼び戻された頃からだ。 セフェリスが時折垣間見せる、大人びた物憂げな顔を見ると胸に甘美な痛みが走るようになった。 旅のひとときに何気なく寄り添ったときのぬくもりがあまりにもいとおしく思えた。 そう、知らずうちにグレミオはもっともっと深いものを求めてしまっていた。
―――どうか、このまま奪い尽くしてください。私のこの身も心も、すべて、こなごなになるまで、壊してください……。
それは今までの温かいだけの気持ちとは明らかに異質の感覚であり、気づいたときグレミオは愕然とした。 そして懸命にその衝動を打ち消そうと努力を続けた。赦されない、こんな想い、赦されるわけがない。 セフェリスは守るべき大切な主、そして弟、そして息子。それ以外ではあってはならない。 その腕で抱き締めて欲しいだなんて…思ってはいけない。なぜならセフェリスは男で、グレミオもまた……男なのだから。
グレミオの日に焼けない生白い肌、その薄皮一枚隔てた直ぐ内側でふつふつと湧き上がり成長していった名も知らぬ衝動。 その存在を思い知らざるを得なくなった瞬間は、ほどなくして訪れた。 旅の途中で滞在していたバナーの村、そこで新同盟軍のリーダーであるクラリスと偶然出会った時だ。 その少年に同行していたのが、かつての戦友でもある忍の女性、カスミだった。
3年の時を経て驚くほど美しくなった彼女にセフェリスが目を奪われているのを見た瞬間、 グレミオはようやく自らの胸に渦巻く激情の正体を見抜いたのだ。 この身を焼き尽くすほどの『恋』という感情、そして、 セフェリスの網膜に映る女性たちに向けられた激しい『嫉妬』という感情を。
聞けば、カスミも新同盟軍において一軍を任されており、現在はクラリスの城にいるのだという。 彼女はセフェリスに密かな想いを寄せているらしい…と、先の戦争で噂好きの婦人から耳にしていた。 だからこそ、グレミオは気が気ではなかった。
セフェリスは肉体年齢こそ14のまま止まってしまっているが、精神年齢においてはそろそろ異性を本気で意識し始める年頃だ。 セフェリスが彼の城へ出かけているとき、自分の知らないうちに、もしかしたらカスミと二人で、 あるいは他の女性と過ごす日もあるのではないかと……そう想いを巡らせただけでグレミオは夜も眠れなくなってしまう。 身を裂かれるような淋しさに耐え切れず枕を濡らす日も少なくなかった。
だからグレミオはクラリスが来るたびにセフェリスに言い聞かせる、『夕飯までには帰ってきてくださいね』と。 柔らかな微笑みを絶やさないのは、なけなしのプライドの所為だった。 ちゃんと自分は笑えているか、醜い嫉妬や独占欲を隠せているか、常に不安を感じながら。
グレミオは危惧している。このままでいたら、いつか自分はセフェリスにすがりついて 「行かないで、お願いだから何処にも行かないで傍にいて」と、彼の目の前で泣き出してしまうかもしれない。 この心に残ったほんのひとかけらの矜持すらかなぐり捨ててしまう前に、なんとかしなくては、いけない……。



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