光が収まったあとには、仰向けに倒れたグレミオがいた。傷つきボロボロになり、 もはや彼には立ち上がる力も残されてはいなかった。いや、立ち上がろうと思うことさえできなかった。
ただ静かに死の足音を聴くグレミオの双眸に、うっすらと、愛しい人の、セフェリスの姿が映った。 おぼろげに透け滲む姿、それはこれまでグレミオが感じていた紋章に焼きついた記憶の断片などではなく、 まごうことなきセフェリスの意識体だった。 そしてセフェリスは、グレミオへ静かに手をさしのべた。
「……ぼ…っちゃん……?」
彼は、穏やかに微笑んでいた。グレミオの好きだった、あの優しい微笑みだった。 グレミオはまるで信じられないものを見るように目を見開いて、微笑むセフェリスに問いかける。
「連れて行って……くれるのですか……?」
グレミオは、最後の力で、ゆっくりとセフェリスへと腕を伸ばした。
「…ゆるして……くださるのですか……?」
伸ばされた手を、セフェリスが大切に受け止める。そして一言、囁いた。

『もう一度、ぼくに誓ってくれる…?』

グレミオは微笑みながら、ひとしずく涙をこぼし、うなずいた。……それが彼の最期だった。 そしてグレミオの右手が激しく発光し始める。それはソウルイーターの最後の抵抗。 セフェリスはその痛々しいほどの光を包み込むように抱きしめながら、紋章へと語りかけた。
『もう、おやめ…ソウルイーター……たとえこの世界の魂をすべて喰い尽くしても、おまえの渇きは癒えやしないよ…… 孤独という餓鬼道の苦しみこそがおまえの業だというのなら、 それがいつか消える日まで、ぼくとグレミオがそばにいるから……』
あまりの光のまばゆさにビクトールたちは思わず目をかばった。どれほど経っただろうか、 光は徐々に静まっていく。どうにか視力が回復するまでに至ると、 いつの間にかルックがグレミオの居た辺りに歩を進めていた。 そこにグレミオの姿は跡形も無く、ただ彼の斧だけが残されていた。 よく見るとその斧の刃には、ソウルイーターの紋様が赤黒く浮かび上がっていた。
「封印は成功したみたいだね……セフェリス・マクドール」
ルックがその名を呼ぶと、セフェリスの意識体が一行の前に現れた。その胸にはグレミオをしっかりと抱いている。 グレミオに意識は無く、セフェリスの腕の中で死んだように動かない。けれどその表情は、穏やかな微笑みに包まれていた。
『みんな、ありがとう……本当に』
セフェリスが皆に心からの礼を言う。感謝してもしきれない、過酷な使命を皆は果たしてくれたのだ。
「死んだ人間は還らないが、紋章を止めることができた。まあ上出来ってとこか?」
ビクトールが鷹揚に笑う。一方、ソウルイーターが封じられた斧をルックは手に取った。 セフェリスの墓の前に立ったとき、そこへ現れたセフェリスの意識体に彼はあることを頼まれていたのだ。
「君に頼まれたとおり、この斧は僕がしかるべき所に隠してあげるよ」
「うん、お願いするよ。これ以上ソウルイーターが暴走しないよう、ぼくがこれからこの紋章を守ってみせる。 これはテッドやそのおじいさんが長い時の中で必死に守り続けてきたものだから」
セフェリスの言葉に対し、ルックは予想通りという様子だった。
「つまり、転生は望まないということだね?」
「…どういうことだ?おい、俺たちにもわかるように説明してくれ」
そこへ話についていけないビクトールたちが割って入る。ルックはほんの少しだけ嫌そうな顔をした後、 軽くため息をついて簡単に説明を始めた。
「ソウルイーターは、またの名を『生と死を司る紋章』……魂を喰らうのは死の力。 そして喰らった魂はやがて転生を遂げ新たに産まれる。これが生の力。だから紋章に喰われた魂はいつか巡り巡って生まれ変わる。 喰われた本人が拒否すれば話は別だけどね」
ルックの言によると、いくら紋章が欲望のままに魂を喰らっても結局命を生み出してしまうわけだから、 この世界全部の魂を喰らい尽くさせるなんて永久に無理な話だった。グレミオはとんだ蟻地獄に足を踏み入れかけてたわけだ。
「まあ要するに、セフェリスは転生せずにソウルイーターを見張る半永久的な番人になろうってわけ」
「そんな……」
ナナミが何か言いかけるが、それを遮るようにセフェリスが口を開いた。心配はいらないと。
「グレミオが一緒だから。誓ってくれたんだ、ずっとそばにいてくれるって」
ふたりなら、淋しくないから。そう言ってセフェリスは笑った。そしていたわるようにグレミオの頬をそっとなぜる。
「とにかくしばらくは、グレミオを少し休ませようと思う。限界以上の力を出しすぎて、魂がかなり損傷してるから……」
「まったく……こいつが無茶苦茶な紋章の使い方するから……いつ目覚めるかもわからないよ、何年後か、何十年後か……」
そう呟くルックも、瞳を揺らすナナミも、他の誰もかも、もはやこれ以上何も言えなかった。 セフェリスは魂の自由と引き換えに愛しい人を永遠に手に入れたのだ。 たとえそれが罪悪なのだとしても、それを裁けるものはここにはいない。
「っ!マクドールさん、姿が……!」
クラリスが驚きに鋭い声をあげる。セフェリスの意識体が胸に抱くグレミオの姿ごと、 崩壊を始めたのだ。次第に薄れて崩れていく自らの両手を眺めながら、セフェリスは苦笑した。
「ぼくも少し…力を使いすぎた、かな……きっともう意識体を編み出すことも、出来なくなるけど……」
「ふん、無理するからそうなるのさ。まあ紋章を見張るくらいのことは出来るだろ?」
ルックの辛舌にもセフェリスは力強く頷いた。崩壊は徐々に進み、体の向こう側の景色がもうはっきりと見える。
「…そろそろさよなら…だね」
「マクドールさん……」
セフェリスがそう告げるが、皆、言葉が出てこない。もう二度と会えないかもしれないというのに。 その気持ちを代弁するように、ビクトールが一言だけ伝えた。
「何て言えばわからねえけどよ……元気でな」
その不器用な言葉に、セフェリスが満面の笑みを浮かべる。それで充分だったのだ。そして最後となる言葉を交わした。
「皆も、元気でね………」
その笑顔が砂丘のなめらかな砂のようにさらさらと崩れていく。金色の粒子が蛍のように舞っては消える。 そしてその場に残った最後の一粒の残響すら完全に消えうせた頃、クラリスが感慨深げに呟いた。
「…よかった……マクドールさん、いい顔をしていたね」
「うん、ホントはただの恩返しのつもりだったのに……あの顔はズルイよね……」
目を潤ませたナナミが頬をピンク色に紅潮させながら言う。その言葉にジョウイはほんの少しだけ複雑な表情をしていた、 彼らしくなく軽い嫉妬でも覚えたのだろうか。
「ま、俺としちゃ美女の笑顔の方が断然いいんだがなぁ」
ビクトールが軽いノリでうそぶくと、相棒が怖い顔で愛剣オデッサに手をかけた。
「…ビクトール……おまえな、もうちょっと場を考えてだなぁ……」
「ああっフリックさん怒らないでっ冗談っ軽い冗談だからな!」
慌てて言い繕うビクトール。その様子がなんだかおかしくて、クラリス、ジョウイ、ナナミの3人はくすくすと笑い出した。 本当に、この腐れ縁は見ていて飽きない。
「ねえねえ、ビクトールさん、フリックさん!もしよかったら、わたし達としばらく一緒に旅しない?きっと楽しいよ!」
「やめとけ、命がいくつあっても足りないぜ」
ナナミの思い切った提案を、フリックがバッサリと切り落とした。 ビクトールと付き合って何度か命を落としかけたがゆえの彼の心からの助言だった。
「えーっ、たまにはクラリスとジョウイ以外にも、わたしの料理食べてもらいたかったのになぁ」
とても残念そうに本音を漏らすナナミだが、 彼女の究極なる味オンチっぷりを知るビクトールとフリックはひきつった笑いを浮かべた。
(そりゃ、命と胃袋がいくつあっても足りないぜ……)
「まったく、つきあってられないよ」
微笑ましく馬鹿馬鹿しい皆のやりとりを横目で見つつ、ルックは一人ぼやきながら手にした斧の刃を軽く地面につけた。 彼の細腕に大きな斧は重すぎたのだ。そんな彼にビクトールが声をかける。
「ルックはレックナートのところに帰るのか?」
「当たり前のこと訊かないでくれる?」
相変わらずツンツンとした言葉を淡々と口から滑らせるルックに、ビクトールは苦笑しながらも礼を言った。
「おまえが協力してくれるなんて思ってなかったから、少し驚いたんだが……いろいろ助かったぜ。ありがとな」
「ふん……そろそろ僕は帰るよ。慣れない労働で疲れたし。あとは勝手にやってよ」
じゃあね、と皆に向けて一言残し、ルックは自らの風の紋章にテレポートを命じた。 空間がひずんでビクトールたちの姿が視界から消えていく。 その途端張り詰めていた糸が切れたように重苦しい疲労感を全身に感じ、ルックは思わず口元をゆがめて苦笑する。
……やるべきことはすべてやった。セフェリスの願いどおり、グレミオを殺し、ソウルイーターを封印した。 ふと、これで本当によかったのか?ルックは自問する。 だがその問いすら馬鹿馬鹿しかったのだと、そう思い直してひとりごちた。
「いいのさ、僕は……あいつが、幸せならね……」



そしてフィナーレへ……
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