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ビクトールたちは西へ続く一本の街道を歩いていた。極稀に往来する馬車の車輪が轍を作り、 道に浅い溝を作っている。周囲は落葉樹の雑木林、控えめな小鳥のさえずりが耳をくすぐる。
「おい、本当にこの道でいいのか?」
しんがりを務めるフリックが前を行くクラリスらに尋ねる。その問いかけにはジョウイが答えた。
「2日前、ここから西の方角で強い紋章の波動を感じました。ちょうど小さな村のある辺りです…… そこから最寄りの村に通じるのがこの街道です。これまでにぼく達が感じた波動とこの近辺の地図とを照らし合わせると、 グレミオさんは効率的に村や街を殲滅するように街道を移動しています。 だからこの道を進めば高確率で出遭うことができるはずです」
真の紋章を持つジョウイとクラリスには、高位な紋章の波動をある程度感じ取ることができるのだという。 それをもとにグレミオの行動パターンを読み、先回りをする作戦だ。 ソウルイーターの目的は少しでも多くの人の命を奪うこと。 それならば人間と遭遇しやすい街道沿いに移動するであろうことは想像がつく。
「でも……でもさぁ、みんな…」
歩きながら、何事か考えていたナナミが少し言いづらそうに口を開いた。
「わたしたち、本当にグレミオさんを……殺…さなきゃいけないの?」
「…ナナミ……」
セフェリスは、それ以外にすべが無いと言った。しかし皆、それを信じたくないというのが本音だろう。 グレミオはかつての仲間でもあり大切な友人でもある。それに皆の知っているあの穏やかなグレミオなら、 進んで人を殺すなんてことはしないはずだ。少なくとも、ナナミやクラリスはそう思っているし、 ビクトールやフリックもそう思いたいと感じている。
「説得してみる価値はあるかもしれない…な。大人しく紋章を手放してくれるとは思えないが……」
「でも、やってみないとわかんないよ!ね、クラリス、ジョウイ!」
努めて明るい声をあげるナナミが、ふと怪訝そうな表情になる。クラリスとジョウイ、二人の様子がおかしい。
「クラリス、ジョウイ…?」
二人の顔つきが変わった。右手の紋章が異変を察知したのだ。
「……紋章が、騒いでる…!」
「すぐ近くです!グレミオさんが、紋章を使ってる!」
ビクトールとフリックの表情も瞬時に険しくなる。紋章を使っているということは、 誰かの命が今まさに喰らわれているということだ。急がなくてはならない。
「走るぞ、ナナミ!」
ビクトールたちは周囲に気を配りつつ街道を駆けていく。しばらくすると一台の馬車が見えた。 馬車は紋章が生んだと思われる暗い闇に包まれている。そこから馬車に乗っていたらしい壮年の男が一人、 血相を変えながらこちらに逃げてきた。
「た、た、助けてくれぇ……!」
恐怖に上ずった声で助けを求める、しかし間をおかずして、どこからともなく生まれた漆黒の闇が男の全身にまとわりつき、 断末魔の悲鳴すらかき消すようにその全てを取り込んだ。
「くっ、間に合わなかったか…!」
ビクトールが舌打ちする。あの男が馬車に乗っていた最後の一人だったようだ。 徐々に薄れて消えゆく闇。その向こうから見えたのは、皆がよく知っているはずの青年の微笑みだった。 彼はそのままゆっくりとこちらに歩いてくる。
「あ…あれが……グレミオさん…!?」
ナナミが悲鳴にも似た声をあげる。クラリスも驚愕に目を見開いた。 二人が知っているグレミオは、まるで小春日和の木漏れ日のような人だった。 その温かく優しい微笑みを浮かべる人が、今は笑いながら人を殺している。 思い知った、グレミオのあの優しさはセフェリスが居て初めて成り立っていたのだと。
グレミオは微笑んでいた。確かに、微笑んでいた。しかしその笑みは冥く、冷たく、ほの白く、 見ているだけで射殺されそうな瞳、青白く燃え上がる静かな殺意が全身からほとばしる。まさに彼は、凍てついた死神だった。
「クラリス、ナナミ、ジョウイ!身構えておけ、死にたくないならな!」
あまりに強い殺気にビクトールが叫ぶ。こちらへ歩を進めるグレミオは、 ビクトール達からある程度の間合いを保った地点で立ち止まると、その表情を崩さないまま、 穏やかとすら思える声で話しかけてきた。
「……通してくださいませんか?」
「…………」
ビクトールらは臨戦態勢を崩さない。グレミオの微笑みがやや苦笑めいたものに変わった。
「私を殺しに来たんですね?」
違う、とビクトールは否定した。
「ソウルイーターを止めに来たんだ」
「グレミオさん……どうか、紋章を外してください。マクドールさんも、こんなこと望んでいないはずです…!」
クラリスの懇願を聞いて、グレミオの苦笑は少し哀しげな、どちらかというと淋しげな微笑みとなった。
「……ぼっちゃんの、泣く声が…ずっと、聞こえるんです……」
瞳閉じ、セフェリスのバンダナが巻かれた右手をいとおしそうに撫でながら、グレミオは語った。
「彼女は、教えてくれました。これは、『罰』だと」
「罰……?」
グレミオの言う『彼女』とはソウルイーターのことだろう。 セフェリスの意識の声がグレミオに届かないのも、ともすれば紋章の仕業なのかもしれない。
「私は、あの方を忘れて、哀しませ、傷つけて、誓いを破り、殺した……千億回殺されても拭いきれない罪を犯した…… この胸の内に煮えくり返る烈しい後悔、発狂寸前の罪悪感を抱えて、 この世界総ての魂をソウルイーターに喰らい尽くさせるまで、永劫を生き続けること……それが私に与えられた罰……」
「そんな……違うよ!マクドールさんが死んじゃったのは、グレミオさんのせいじゃない!」
たまらずナナミが叫ぶ。ビクトールもまた紋章の仕打ちに怒り、激昂した。
「罰だの罪だの、ソウルイーターはただおまえの絶望を利用しているだけだ!そんな紋章の馬鹿げた企みに付き合う気か!?」
「問答無用…!」
グレミオの表情から笑みが消えた。右手をかざし、紋章に意識を集中させる。 グレミオの全身からほろほろと生まれては立ち上る闇がまるで火の粉のように舞う。
「かつての仲間であるあなた方を殺すのは忍びないですが、私の邪魔をするのであれば容赦はしません。 紋章の贄になって頂きます!」
「…まずい、来るぞ!」
発動したソウルイーターの闇の力が一気に押し寄せ、ビクトールとフリック、ナナミが咄嗟に身をかばう。
「輝く盾の紋章よ、その力を示せ!」
クラリスの紋章が生んだ輝く防御壁が、もの凄い衝撃と共に闇色の光とぶつかり合った。 しかし力の差か、クラリスの光は瞬く間に押されていく。素早くジョウイが右手を掲げて自らの紋章に叫んだ。
「黒き刃の紋章よ、その力を示し、我が友に力を与えよ!」
クラリスとジョウイ、ふたりの力で防御壁は辛うじて持ち直した。真の紋章の強大な力が入り乱れ猛り狂い、 その衝撃は筆舌に尽くしがたいものがあった。大地は陥没し、周囲の木々がなぎ倒され、枝が蒸発してゆく。 空気が悲鳴をあげビリビリと鼓膜を激しく揺さぶった。ビクトールもフリックもナナミも、 防御壁の中でその場から動くこともままならず、 身を守ることで精一杯だ。
「身体が言うことをきかない…これが、真の紋章の力かよ…!」
まるで桁外れの力の応酬に、フリックが歯噛みする。
「わたしたち、何の役にも、立てない…かも……」
「弱音を吐くなナナミ!いつでも攻撃できるように構えておけ!」
心が折れそうになるナナミにビクトールがゲキを飛ばす。だが力尽きそうになっているのはナナミだけではなかった。 拮抗していた紋章が、ソウルイーターの力の前に徐々に押されつつある。 クラリスもジョウイも蒼白となり汗をにじませ、限界が近いことを告げた。
「駄目だ、ソウルイーターの力が強すぎる…!」
「このままじゃ、抑えきれない!」
「馬鹿な……クラリスとジョウイの紋章を合わせても歯がたたないのか!?」
信じられない、といった様子でフリックが叫ぶ。グレミオはもともと戦闘が得意ではない。 潜在的な魔力は、クラリスとジョウイの方が圧倒的に勝っているはずなのに。
「グレミオのやつ、火事場の馬鹿力ってか…!ストッパーが外れっぱなしになってるみたいだな」
もともと人体には、むやみに身体を壊さぬようある程度以上の力は出せないようにストッパーがかけられている。 そのたがが外れてしまっているのだ。絶体絶命。このままでは全員、手も足も出ないままやられてしまう…!
「わが身に宿る真なる風の紋章よ、切り裂け!」
そのとき、クラリスたちの背後から突然声がしたと思えば、幾つものかまいたちがグレミオに襲い掛かりその身体を切り刻んだ。
「な、に……!?」
ひるんだグレミオの紋章の力が弱まり、クラリスとジョウイの力が優勢となる。 背後からテレポートで現れたのはルックだった。驚く面々にルックが厳しい声をかける。
「何ぼさっとしてるのさ、早く攻撃っ!」
今しか攻撃のチャンスは無い。殺らなければ殺られるのだ、戦うしかない。 ソウルイーターの力をクラリスとジョウイの紋章で押さえつけているうちに、 ビクトール、フリック、ナナミの三人がグレミオめがけて駆ける。 だがルックの風の紋章で深く傷ついたはずのグレミオは、紋章の力を解放させたままで三人を迎えうった。
「くっ!」
先頭をきったフリックがグレミオの放った衝撃波で吹き飛ばされる。
「きゃあっ!」
その隙に間合いを詰め三節棍を振り降ろしたナナミはグレミオの斧でしたたかに弾き返された。
「うおおおおお!!」
そしてグレミオが体勢を立て直す僅かな合間を突き、ビクトールが突進した。その最後の一撃、 ついにビクトールの剣がグレミオの腹部を深々と貫いた。 グレミオはひと刹那だけ僅かに目を見開く。その瞬間まるで時が止まったかのようだった。
「…やったか!?」
衝撃波にやられたフリックが身をかばいながら立ち上がってグレミオを見やる。 ビクトールの剣に貫かれた彼の表情に苦痛は無く、むしろ穏やかだった。致命傷を負ったにもかかわらずその姿勢は直立を保ち、 そして次の瞬間ビクトールは背筋の凍る思いをすることになる。血塗れのグレミオが、笑ったのだ。
「あなたは優しいんですね……ビクトールさん。……けれど愚かです。どうして急所を外したんですか?」
「グレ…ミオ……!?」
グレミオは自ら後退し、強引に腹に刺さった刃を抜いた。瞬く間に衣服が赤く濡れていく、 それすら彼にとってはどうでもいいことのように。
「この程度で私が止まるものか……こんな傷……あの方が受けた痛みに比べたら…!!」
ぶわっと同心円状に衝撃波が走り、ビクトールたちが吹き飛ばされる。グレミオは右手を天に掲げ、 その魂持てる力すべてを紋章に捧げるほどに、途方もない力を溜め込んでいく。 尋常でないエネルギーが高まっていくのがわかる。おそらくグレミオは一気にカタをつける気だ。
「うそ……だろ………」
フリックが呆然と声を漏らした。常人なら立つこともできないほどの傷を受けながら、 これほどの力を見せるとは。ルックも想定外の事態に苦々しげに呟く。
「総ては狂気のなせるわざってわけか……少し侮りすぎたね」
ソウルイーターの強大な力の前に、みな徐々に戦意を喪失しつつある。 グレミオはぞっとするほど凄艶な微笑みをもって、今まさに紋章の力を解き放とうとする。もはや彼を止めるすべは無いのか。
「もう、楽にして差し上げます」
緋色に染まった唇が、告げた、最後に贈る一言を。
しかしそのとき、微笑みに、一筋のひびが入った。
本人ですら気づかなかった、ひびは深い亀裂となった。
「もう……楽に………」
そしてそのとき、微笑みに、一筋の涙がつたった。
緋色に染まった唇から、こぼれた、ほんの一言が。
焦点合わぬ見開いた瞳に、今さら何が見えるというのか。
「…もう……楽…に………して……ください………」
―――それは私の手から零れ落ちてしまったのです
いとおしいあの日々の想い出たちとともに


何故と問うことも、もはや出来ないのです
私の隣にもうあなたはいないのですから
ただ私はあなたの代わりに己の躯を抱きしめては
独り思い知るばかりなのです
私の右手、呪われた右手
私の逢いたいあなたはそこにいるのでしょうか
私の愛しいあなたは、そこにいるのでしょうか―――



「…………」
極限まで高まっていたソウルイーターの波動が、割れた風船のように一瞬で力を失った。 総てを喰らい尽くすはずだった闇は跡形もなく消え去り、そこには力なく立ち尽くす青年がひとり、 残された。彼はもはや何も言わず、何もせず、ただ静かに瞳を閉じた。
「ジョウイ……」
「クラリス……」
クラリスとジョウイは互いに視線を交わし、うなずき合うと、右手を掲げ、声を揃えた。
「輝く盾の紋章よ!」
「黒き刃の紋章よ!」
『その力を、示せ!!』
まばゆい光がグレミオを包む。クラリス、ジョウイ、ナナミ、ビクトール、フリック、ルック。 このとき一同の脳裏に、セフェリスの願いが鮮明に蘇った。

“グレミオにはもう、ぼくの言葉が届かない……”
“お願い、どうか…あの人を………安らかにさせて。”



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