「おい……これは、完全に、迷ってるぞ」
果てが無いような樅林をただひたすら歩きながら、 青いバンダナの美丈夫は先を歩いている熊に似た雰囲気の巨漢に声をかけた。
「へーきへーき。まだ3日目だぜ」
その熊のような男はけらけらと笑いながら、もう幾度目かになる相棒の言葉をさらりと流した。
「も・う・3日目だって言ってるんだ。俺は迷子の挙句の野垂れ死には嫌だからな」
そう言い捨てる青いバンダナの青年、名はフリック。かつては『青雷のフリック』と呼ばれ、 この熊のような男、『風来坊ビクトール』と共に数々の修羅場をくぐり抜けてきた。 5年前のトラン解放戦争、2年前のデュナン戦役にも参加し、 ひょんなきっかけから共に旅をしていることもあり、今や二人をして『腐れ縁』と言わしめるほどである。
「俺の感覚じゃ、そろそろ着くはずなんだがなあ。ここいらに小さな村があるってどっかで聞いただろ」
「そりゃ結構なこった。野生の熊の勘は鋭いからな」
「…ひでぇなフリックさんよ…」
ビクトールが熊呼ばわりされるのは昔から変わらない。例えば、こんな逸話がある。 彼がかつてジョウストン都市同盟の傭兵隊長をしていた頃、 自らの姿にインスピレーションを受けて獅子の顔の隊旗を描いた。 ビクトールはライオンを描いたつもりでいたが、周りの者は皆「クマの旗」だと信じて疑わなかったという…… それはさておいて、ビクトールの『勘』というものはまさに野生的に、気味が悪いほどよく当たるのが常であった。
「お、やっと林が途切れるぜ」
ようやく開けたところに出た。しかし待っていた景色に二人は眉をひそめた。
「あそこにあるのは……村、……か?」
樅林から少し離れたところに見える、村、とおぼしきもの。そう、かつては村だったもの。
「なんだよ…こりゃあ……!」
まるで天変地異に遭ったかのような惨状だった。畑の緑は総て吹き飛んで荒地となり、 家屋があったであろう場所には慰み程度の瓦礫がひとつふたつ残るばかり、人の気配は無く、 道すらもえぐれて、あちこち隆起している……ビクトールとフリックは壊滅した村に足を踏み入れた。 この有様は、ただ事ではない。
「台風……じゃねえな。大地震でもここまではならねえぜ」
「嫌な感じがする……まさか、何かの紋章か?」
そのとき、二人の聴覚があるものを捉えた。それは、この状況にはあまりにも場違いな音色だった。
「…歌?……歌が聞こえる」
「これは……子守唄?」
耳を微かにくすぐる穏やかなテノール。生き残りがいるのだろうか。 ビクトールはその歌声に誘われるように声のする方へ向かおうとする。
「おい、ビクトール!むやみに行って危険じゃないのか」
フリックが一瞬引きとめようとしたが、ビクトールは「…違う」、と僅かに呟いた。
「この声、どっかで聞いたことねえか……?」
二人はその歌声を頼りに歩を進め、ほどなくしてその声の主を見つけることになる。 吹き飛んだ家の僅かな残骸とともに、彼はうずくまっていた。確かに、どこかで聞いた声だとは思っていた。 しかし、このような形で再会を果たすことになろうとは……
「おまえ…!」
「グレミオ……!?」
子守唄を歌い続けていたのは、その美しい容姿を血で真っ赤に染めたグレミオだった。 足元に血塗れの斧、そして腕にはセフェリスのなきがらをしっかりと抱いて。 グレミオに守られて眠っているかのようなセフェリス、しかしビクトールもフリックも一目見て直感した。 セフェリスが、もう生きていないことを。
「グレミオ!セフェリスは……この村は、いったい……!!」
ビクトールとフリックが叫びながら駆け寄ると、グレミオは気だるそうに顔を上げ、目の焦点も合わぬまま虚ろに囁いた。
「…うるさいですよ……ぼっちゃんが起きちゃうじゃないですか…」
「……!?」
「ぼっちゃんはこの唄が好きだったんです……眠るときによく私にせがむんですよ…」
そう言いながらグレミオは愛しげにセフェリスの顔を見つめる。その様子はあまりに現世離れしていて、 何かの悪い夢のようで、ビクトールもフリックも、目の前にある光景を簡単には受け入れられないでいた。
「おい、セフェリスは……セフェリスは、本当に死んで……」
フリックがセフェリスの身体に手を伸ばそうとすると、グレミオは鋭い悲鳴をあげた。
「駄目!私のぼっちゃんをとらないで!!」
恐怖と嫌悪で瞳を染め、フリックの手を力いっぱい払いのける。そのグレミオの右手が急に輝きだした。 そのまがまがしい光には二人とも見覚えがあった…魂を食らう呪われた閃光。
「…まずい、紋章だ!」
ビクトールが素早く反応し、的確な対処をした。紋章の力が増す前にグレミオの首に一撃を叩き込む。
かなりの荒療治だが、間一髪で紋章の発動はおさまった。崩れ落ちて気を失ったグレミオの右手をあらためて見ると、 そこには確かに、かつてセフェリスが宿していた真の紋章のひとつ、『ソウルイーター』があった。
「…………」
「…………」
「……なあ、どうしたものだろうな…ビクトール」
しばしの沈黙の後、呆然と、神妙と、フリックが呟く。崩壊した村、血塗れで死んでいたセフェリス、 正気でないグレミオと継承されたソウルイーター。ここで一体何があったのか。 知りたくもあったが、知りたくない思いもあった。
「どうしたもこうしたもあるかよ…ったく」
ざんばらの髪をわしわしと掻きながら、ビクトールは念のためセフェリスの脈をとった。 そしてかつての仲間の『死』を否応無しに悟ると、 セフェリスの頭に巻かれていた彼のトレードマークでもある緑色のバンダナを外し、 グレミオの右手の甲、ソウルイーターの紋章を隠すように覆い、縛ってやった。
―――どうしたものだろうな。
長い長いため息をついて、ビクトールはセフェリスの死に顔を見つめた。その顔は、どこか安らかで……
「とりあえず……埋めてやらなきゃな……」





二人はセフェリスを埋葬し、簡単な墓を作った。樅の木を切り削って作った簡単な十字架が唯一の墓標となる。 荒地となった村には花ひとつ残らなかったため、ひどく殺風景な墓になった。
「……それで、これからどうする?」
黙祷を終え、気を失ったままのグレミオと彼の斧を交互に見やり、フリックはビクトールに尋ねた。
「ざっと村を一周したものの、死体のひとつも残ってない……生き残りはどうやらグレミオだけだ。 この惨状の理由を説明できるのもグレミオだけ……目を覚ましたこいつが果たして説明できるのならな」
「…ほっとくわけにもいかねぇだろ。担いででもどっか他の村を探して休ませて……」
そのときだった。一陣の風が通り抜けたかと思うと、空間がひずみ、一瞬の閃光とともにひとりの少年が現れた。 肩口で切りそろえられた柔らかなブラウンの髪が風でそよぐ。真の風の紋章の継承者、ルックだった。
「へえ……これはまた、随分と暴れまわったようだね…ソウルイーター」
周囲をぐるりと見渡しながら、少年は斜に構えた態度で呟いた。
「ルック!」
「おまえ、なんでここに?」
突然現れたルックは、驚く二人をこともなげに受け流した。
「僕の紋章が酷く騒いだからね。少し気になったのさ」
ざっと村の様子を確認した後、ルックは大地に立てられた十字架に視線を移し、ほんの僅かに目を細めた。
「ルック、その墓は、あいつの……」
言いかけたフリックの言葉を、ルックはさえぎった。
「あんまり詳しいことは聞きたくないんだ。面倒ごとは御免だよ」
「…そうか」
相変わらずだな、とビクトールは苦笑した。
「なあルック、頼みがある。お前の風の紋章で、俺たちをどこか休めるところにテレポートさせてくれねえか」
「なんせ道に迷ったものでね」
「……いいよ」
ここから一番近いのは遥か南西の街だ。歩いて数週間の距離でもルックのテレポートなら一瞬で行ける。
「恩に着るぜ、ルック!」
「ふん、ありがたく思いなよ」
ビクトールの礼を大して心に留めた様子も見せず、ルックは自身の紋章に意識を集中させた。
「わが身に宿りし真なる風の紋章よ……」
ルックの呪文と共にビクトールとフリック、グレミオの身体が光に包まれる。 それは一瞬の出来事だった。光が急速に消えたときには三人の姿は跡形もなく消えていた。 そしてその場に一人残されたルックは軽く吐息つく。
「さて、と……僕の役目は、こんなところかな」
今一度、セフェリスの墓に視線をやる。めったに崩れることのないルックの相貌が、一瞬だけ、わずかに翳った。
「……セフェリス……」





街の小さな宿屋でグレミオが目を覚ましたとき、部屋には彼一人しかいなかった。
「……ぼ、っちゃん……?」
起き上がろうとすると、身体中を疼痛が襲った。かまわず身を起こすと、 いつも当たり前に傍に居たはずの人がいないことを知り、グレミオは言いようのない不安感を覚えた。
「…ぼっちゃん……どこに行ったんですか……?」
身体が重い、頭の芯が霞みがかったようにぼんやりする……だがそんなことを気にしている余裕はなかった。 傍にセフェリスがいない。それが何よりも怖かった。いつだって必ず傍にいたから……
セフェリスをひと目見ればこのどうしようもない不安は拭われるのに。 グレミオは鉛のような身体を引きずるようにして部屋のドアを開けた。
すると、ちょうど扉のところで一人の少年と出くわした。年ごろは10代半ばほど、短い黒髪の少年。 この宿屋で働いている下男だった。
「あ、お客さん?朝ごはんができてますよ。お連れの方が今食べてるところで……」
その少年の姿を見た途端、グレミオの形相が激変した。
「!…ぼっちゃん…!!」
「な、なに……!?」
グレミオはまるで襲い掛かるように少年にすがりついた。 彼には、少年が少年には見えていなかったのだ。 少年を絞め殺さんばかりに抱きしめ、狂気以外の何物でもない涙を流した。
「ぼっちゃん……酷い…勝手にいなくなるなんて……グレミオは淋しかったです……淋しくて死んでしまいそうで……」
「お客さん!…離して!!」
すがりつくグレミオの力があまりに強く、少年は恐怖を覚えたのか、 血相を変えて逃げようとする。しかし逃れようとすればするほど、 グレミオは少年に必死にしがみついて離れなかった。
「離さない!…あなたから離れるなんて、耐えられない…!」
「嫌、やだ!離してよ!!」
「ぼっちゃん……!」
少年の拒絶が本気のものであると悟ると、グレミオはその相貌に壊れた微笑みを浮かべた。
「酷いお方…私を拒絶するんですか?……そんな口…二度ときけなくして差し上げましょうか………」
喉の奥で低く笑うと、グレミオは暴れる少年の首に両手をかけ……力を込めた。





「……グレミオ!?おまえ、何を……!」
やがて少年がぐったりとして動かなくなった頃、ビクトールとフリックが戻ってきた。 力をなくした少年をグレミオは包み込むように抱いている。
「…ぼっちゃんは私のものです……私だけの……」
いとおしげに少年の黒髪を細い手指で梳きながら、耳元で囁いた。
「あなたしかいらないから……どうか……拒まないで………」
抱かれている少年の頬は色を失っており、既に息をしていない。脈があるのかも危うい。 たまらずビクトールはグレミオの頬を思い切り叩いて怒鳴りかけた。
「しっかりしろ!よく見るんだ、こいつはセフェリスじゃない!」
「……っ…?」
頬をはたかれた衝撃で、グレミオは夢から目覚めたばかりのように不思議そうな顔をして、 ようやく自分が抱いているのが想い人ではないことに気づきかけたようだった。
「ぼっちゃんじゃ…ない……?」
グレミオは目を見開いて、焦点の合わぬ瞳をさまよわせている。力を無くした腕から、ずるり、 と少年の身体が落ちた。少年は、既にこときれていた。
「そうだ。あいつは死んでた!おまえの斧で殺されてたんだ!!」
「………死ん…だ?……ぼっちゃんは……殺された………」
小刻みに揺れ始める身体。徐々に思い起こされる、あのときの光景。忘れようもない、 セフェリスの最期の笑顔。増していく振幅。瞬く間に顔面が蒼白になっていくグレミオを見て、 フリックがふと疑問を投げかけた。触れてはいけない言葉を。
「…まさか、…グレミオ…おまえが……?」
そのとき、グレミオの心に低い女の声が響いた。
―――ソウ、アナタガ殺シタ。
「…そう………私が…ころ…し……あ、…ああ…あ」
震えながら頭を抱え込むグレミオの右手が急激に輝き始める。 それはグレミオの精神の昂ぶりと比例するかのように。みるみるうちに増幅する光。紋章の力が解放される兆候だった。
「ちっ…また紋章か!」
ビクトールが舌打ちをしてグレミオを気絶させるため懐に入ろうとする。 しかしバチィッと強い衝撃を受けて吹き飛ばされてしまった……これでは近づけない。 そうしているうちにもますますソウルイーターの光が強くなっていく。
「まずい…!フリック、逃げるんだ!」
脳に反響を続ける女の囁きは鐘の音のよう。それはグレミオの意識を暗い淵に引きずり込もうとするような、強い力。
「ああ…あ…うああ…ああああ」
―――ソウ……ソレハ、アナタノ罪―――
ビクトールとフリックは紋章の直撃を避けようとするも、 背後から迫る力はあまりにも急激に膨張するばかりで二人は否応なしに悟る、逃げ場など、もはや無いと。
「駄目だ…とにかく伏せろ!!」
「あああああああああぁ!!!」
グレミオの悲鳴とともに、解き放たれる闇色の閃光。 そのあまりに圧倒的な熱量は宿ひとつどころか街ひとつをいともたやすく飲み込んだ。 クレナの村を壊滅させたのと同じように……



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