俺の名はゲオルグ・プライム。赤月帝国六将軍の一人だ。 広大なるトラン湖を取り巻く一帯を支配する赤月帝国は、建国より200年以上にわたり栄華を誇る。 とはいえ全領土が恒久的な平和を手にしている訳ではなく、 現在はジョウストン都市同盟との紛争が立て続けに起こっている。 俺はここ数ヶ月ほど、一軍を従えて都市同盟との国境付近の街に駐屯していた。 この街は俺にとって特別だった。気晴らしに通いだした歓楽街に、とんでもない上玉がいたからだ――― なんてこと言ったら、同じ帝国将軍のテオに怒られそうだな。だが知ってるぞ、あいつも相当な遊び好きだってことを。 「ゲオルグさま、次はいつおいでくださいますか…?」 一連の行為を終えて身支度を始めた俺の背後で、さっきまで俺の相手をしていた青年の声がする。 …違うな、青年じゃなくて、少年と言った方が良さそうだ。見たところ、おそらくローティーンであるのは間違いない。 振り向くと少年はベッドの中でしどけなく身体を起こし、こちらを見つめていた。そう、彼こそが『上玉』の正体だ。 幼い少年だと侮ると痛い目に遭う。絹糸のような金髪と透きとおった緑の瞳はまるで天使を思わせるが、 ベッドの上では淫靡な悪魔へと変貌を遂げる。その二面性もさることながら、 少年はその声色から表情、仕草のひとつひとつまで、相手を虜にする術を知り尽くしているのだ、 この若さで。その術中に陥ってしまった俺も大概未熟だが、それだけじゃない。 行動の端々に感じるある種の純粋さが、この少年を誰よりも魅力的にみせていた。 「それなんだが、都市同盟との小競り合いはひと段落したからな、明朝グレッグミンスターへ帰還することになった」 俺がそう言うと少年はそっと目を伏せて、微かな声で囁いた。 「……そう、ですか……」 夜露に濡れた白薔薇を思わせる切なげな吐息、思わず少年の薄い背中を抱きしめたい衝動に駆られる。 こいつのおかげで俺は他の娼婦や男娼など目に入らなくなってしまった。正直、あまり帝都に帰りたくないと思うほどに。 …俺らしくないな、こんな、本名すら知らない少年に骨抜きにされるとは。 「ゲオルグさま……グレッグミンスターは、どんな所ですか?」 少年が訊いてくる。歌うような、綺麗な声音だ。俺は身支度を終えてからも、 時間が経つのを忘れて色々少年に話してやった。帝都グレッグミンスター、街行く人々の活気に満ち溢れた様子、 中心部に位置するクラウディアさまに似た女神像、絢爛豪華な黄金宮殿に飾られた鎧に隠された謎の100ポッチ。 俺の話を聴きながら、少年はくすくすと笑い、感嘆のため息を漏らす。そして別れ際になって、 少年は微笑みながら独り言のように呟いた。その最後の微笑みは、しばらくの間、俺の脳裏から離れなかった。 「いつか、…行ってみたいですね……」 そして数年後。赤月帝国と都市同盟の間では相変わらず国境付近での小規模な衝突が続き、 あれからあの街には何度か行った。だがあの少年に会うことは二度となかった。同業者の話を聞いたところでは、 少年は街を出て行ってしまったそうだ。 俺はもう幾度目かになる遠征からグレッグミンスターに帰還したところだった。 都市同盟との実の無い小競り合いに俺はうんざりしていた。そろそろこの国を出るのもいいかもしれない、 今までそう何度も思ってきた。そもそも継承戦争が終結した時点で俺の役目は終わっていたのだ。 それでもまだ将軍という地位を捨てグレッグミンスターを出て行かない理由、 それがあるとすれば、おそらくあの少年だった。 少年があの街を出て次に向かう場所があるとすればグレッグミンスターだ、などという妙な確信があったのだ。 出来るのであれば、もう一度逢いたかった。俺としたことが未練がましいと思いながらも、 帰還した日の夜、俺はふらりと歓楽街へ出かけた。それはx回目の、少年探しの行脚だった。 グレッグミンスターの歓楽街はあの少年がいた街のそれとは比較にならないほど大規模なものだ。 しかしあの少年ならここでも十分人気者になれたはず。それでも見つからないのは、 少年が帝都にいない何よりの証拠ではないか?…そろそろ、潮時なのだろうか。 そんな俺に幾人かの娼婦や男娼が声をかけてくる。いずれも美男美女揃いだ。 帝国将軍などという俺の地位の所為か、己に自信の無いものは寄ってこない。 そんな選りすぐりの彼らは、パッと見たところ魅力的だが、 細かい所がイヤに目についてなかなかついていく気にならない。 こいつはあの少年より声が野太い、こいつはあの少年ほど綺麗な金髪じゃない……そんな、くだらない理由で。 ただ、あの少年と会ったときの『腰が抜けそうな』感覚は得られないということだけ、判った。 結局俺は適当な相手を選んで適当に寝た。まあ、これがいつものことだ。 ただ、軽くひと眠りしようと横になって目が覚めたのが翌日の真っ昼間だったことに少々驚いた。 遠征帰りでくたびれていたのだろう、相手の男娼にも苦笑されてしまった。 今日が帝国で定められた休日だったから良かったものの、出仕の日だったらと思うと笑い事じゃない。 「……まったく、もう若くないな」 ぶちぶち文句を垂れながら俺は歓楽街を出た。寄る年波を嘆く前に、帝国将軍たるもの帰還したその日に遊ぶなどとは――― 堅物のクワンダ・ロスマンならそう言って怒るかもしれない。だが知ってるぞ、あいつだって結構遊び好き…… ではなかったな。誰のことを言おうとしたんだったか。 そう考えているうちに、視界にテオ・マクドールの屋敷が入ってきた。 「そうか、遊び好きなのはテオの奴か……」 久しぶりにテオに会いたくなった。そういえば、プライベートでは随分長いこと会っていない。 今日は休日だが、屋敷にいるだろうか。あいつは遊び好きだが根はいたって真面目だ、おそらくいるだろう。 そう踏んで俺は足をマクドール家の屋敷の方向へ向けた。ここからなら近い、ものの数分で着けるだろう。 「………ん?」 屋敷がだいぶ近づいた頃、俺はふと立ち止まった。一瞬だけ、街の人ごみのなかに、きらりと金色に光るものがあったのだ。 目を凝らすと、また見えた。今度ははっきりと。それは見事なブロンドの髪、その美しさに俺は目を奪われた。 その途端えもいわれぬ感覚が身を包んだ。視界が一瞬だけ白く染まり、眩暈に似た、 腰の辺りから足元にかけてぐらぐらと揺らいで酷く危なっかしいこの感じ、ああこの感じ、俺は知っている……? (…髪が……伸びたんだな………) ふっとそんな言葉が脳裏を掠めた。その言葉を頭が理解した瞬間、俺は漸く目の前の事実に気づいた。 間違いない、あそこにいる彼は、あの少年だ。…違うな、もう青年と言って良さそうだ。 随分長いこと探し続けていた青年は、長髪と呼べるほど髪が伸び、背も随分と高くなっていた。 俺の頭の中では少年はずっと少年のままだったから、成長した姿を見るのは何やら感慨深かった。 彼は花屋の女性と何事か話している。俺はその様子をいつしかまじまじと観察してしまっていた。 片頬に深く傷がついてしまっている。痛々しかったが、それでも彼の魅力は少しも損なわれていなかった。 しかし大分印象が変わった……彼はあんなに温かく笑えたのか。 桜色のシンプルなエプロンを身に着ける彼の姿に以前のような妖艶さは無く、もはや男娼の雰囲気ではなかった。 青年は花屋の女性から見事なカサブランカを受け取った。そうだな、今の彼には薔薇よりも百合が似合う。 彼は花屋の女性に金を支払うと歩き出してしまった。俺は慌てて後を追おうとして、 思わず足を止めた。彼はそのまま……テオの屋敷へと入っていったのだ。 「テオ……の?」 何がなんだかわからなくなってきた。俺は咄嗟に店に戻ろうとする花屋の女性をつかまえる。 「ゲ…ゲオルグさま?何か?」 生憎と俺は花屋にはあまり縁がない、花自体は嫌いではないのだがな。話しかけられるのが意外だったのか、 驚いている様子の花屋の女性に俺はさきほどの金髪の男は誰かと尋ねた。女性は目を白黒させながらも素直に答えてくれた。 「えっと…あの人は、マクドール家の使用人ですよ」 「……使用人?」 ともあれ、男娼を辞めたことは確かなようだ、道理で歓楽街をいくら探しても見つからなかったわけだ。 それにしてもこんなところにいるとは…灯台下暗し、とはこのことだな。 俺はテオの屋敷の入り口まで来て、ドアノックに手をかけようとして、にわかにためらった。 マクドール家の使用人になったいきさつは知らないが、彼に会ってどうするのだ? 使用人を男娼のように買うわけにはいかない。いや、そもそも俺が彼を探していたのは彼と寝る為なのか? なぜ俺は、彼を探し続けていたのだ……? 「あら、ゲオルグ将軍……お久しぶりです。何か御用でしょうか?」 考えがまとまらないまま俺はいつの間にかノックをしてしまっていた。手が勝手に…何をしているんだ、俺は。 だが、玄関のドアを開けたのはテオ直属の部下であるクレオだった。 出てきたのが彼でなかったことに何故か安堵する自分がいた。 「……テオはいるか?久方に会いたくなってな」 「ええ、いらっしゃいますよ。どうぞお入り下さい。客間までお通しします」 「すまんな」 クレオによって客間に案内された俺は、ゆったりとしたソファーに腰を下ろす。 ほどなくしてテオがやって来た。テオは俺の顔を見るなり破顔して、テーブルを挟んで対面側のソファーに座った。 「おまえが私の家にわざわざ来るとは。珍しいこともあるものだ」 「言われてみれば、おまえの屋敷に入るのは実に数年ぶりだ。いつも会うといえば飲みか遊びかで外ばかりだったからな」 「私はだいぶ落ち着いてきたぞ?おまえは未だに遊んでばかりのようだが」 言われたとおり、今日も遊んできたばかりだ。俺は苦笑せずにはいられなかった。 「失礼いたします、テオさま」 ほどなくして女性の声とともに客間のドアが開く。お茶を運んできたのはさっき玄関で俺を出迎えたクレオだった。 彼女は危なげない手つきで紅茶の入ったカップとソーサーをテーブルに置いていく。 「このお茶を淹れたのはクレオか?グレミオはどうした」 意外そうにテオが尋ねると、クレオは困ったように笑った。 「それが、ぼっちゃんにかかりっきりなんです」 「はは、あの腕白坊主が相手ではさぞかし苦労しているだろう」 テオが嬉しそうに目を細める。一人息子だ、可愛くて仕方ないのだろう。 テオの息子にはもうしばらく会っていないが、育ち盛りの子供だから きっと前に会った時とは比べ物にならないほど大きくなっているに違いない。 クレオが退室してからも、テオの口から出るのは息子の話ばかりだった。 武術の飲み込みの早さはとても良いのに悪戯好きなのが玉にきずなのだとか、 この歳になっても誰かと一緒に寝たがる甘えん坊なのだとか、他にも自慢話を散々と。 俺はくつくつと笑いながら冗談めかしてテオに言った。 「相変わらず親馬鹿だな、おまえ」 自分でも自覚しているのか、テオは気恥ずかしそうに頭を掻いた。 「すまんな、つい自分のことばかり話してしまった。…おまえは何か私に用があって来たのではなかったのか?」 いや、ただ単におまえに会いたくなったからだ……咄嗟にそう言おうとして、止めた。 確かにそれも正しい答えではあったのだが。俺は思い切って訊いてみることにした。 「……なあ、おまえのところに、金髪の若い男がいないか?…頬に、傷のある」 「ああ……グレミオのことか?それがどうしたんだ?」 そうか、彼はグレミオというのか。本名を俺より先に知ることが出来たテオを少しうらやましく思った、 これが嫉妬というやつなのか?しかし、それがどうしたんだと言われても俺は二の句が告げなかった、 特に考えてなかったからだ。結果、何やらしどろもどろになってしまう。 「あー、…さっき、外で見かけたんだが……何と言うか、その…」 歯切れの悪い俺の言葉に察したのか、テオはからかうような意地の悪い笑みを浮かべる。 「気に入ったのか?ははっ、おまえ、美人には弱いからな。 …だが、あいつはやめておいた方がいい。下手に近づくと火傷する」 そしてテオは急に真顔になると、どこか遠い目をしてこう言った。 「あいつはな、マグダラのマリアだ」 その言葉を受けてから、自分の記憶の引き出しを探るのに幾ばくかの時間を要した。 「……マグダラの、マリア…」 確か、7つの悪霊に取り憑かれたマグダラのマリアはキリストによって7つの大罪を赦されたと聖書にある。 その聖女は元娼婦だという説をどこかで聞いた。テオは真剣な表情を崩さぬまま語る。 「あいつは、帝国将軍たる私を…こともあろうに、堂々と誘惑してきたのさ。それも、とんでもないやり方でな」 俺は一瞬言葉を失った。僅かな沈黙の後、テオはふっと顔を崩し、苦笑しながら言った。 「……腰が抜けるかと思ったぞ」 「…寝たのか?」 テオは俺の問いかけに対し、首を横に振った。 「いや、寝なかった。私はその時、猛烈に腹が立ったんだ。何に対して、だったのか…… おそらく、17かそこらであそこまでの手管を身に付けてしまった少年……そうさせたこの世界に対して、だろうな」 「17かそこら、か……」 俺がグレミオという青年から『腰が抜けそうな』誘惑を受けたのは彼がまだローティーンのときだったが、 それは言わないでおこう。だが、やはりテオの奴は俺とは違うな。呆れるほど義に厚い、俺には到底真似できないことだ。 俺は少年の性観念が崩壊していたのを知っていて、何もしてやれなかった…… 「……それで、おまえが引き取ったのか?」 「ああ。根は優しい子でな、今は息子の世話を任せてある」 料理も上手く、グレミオの作るシチューは絶品なのだとか。そんなことを話しているうちに、再びノックの音が聞こえた。 ティーポッドを手にして客間へ入ってきたのは、他でもないあの青年、グレミオだった。 「テオさま、お茶のおかわりはいかがいたしますか?」 「ああ頼む、グレミオ」 「失礼しますね」 テーブルのティーカップにお茶が注がれていく。俺はグレミオを間近に見て、どんな顔をすればいいのかわからなかった。 ただ彼は俺を見ても静かで柔らかな表情のまま、まるで俺のことに気づいていないかのようだった。 そうだな、昔の関係など今となってはどうでもいいことだ……俺がそんな心境になった頃、突然勢いよくドアが開けられた。 「グレミオーーー何してるの!?」 姿を見せたのはテオのぼうず、セフェリスだ。グレミオに駆け寄ると彼の腰にすがりつく。 「ぼぼぼぼ、ぼっちゃん!」 「勝手にどっか行かないでよっ!傍に居てって言ったのにぃー!」 「す、すみません、ぼっちゃん……」 グレミオはおろおろと情けなく謝っている。その様子がなんだか可笑しかった。 かつて大の大人を思うままに魅了してきた人間が、一人の子供に振り回されている…… いつのまにか、俺は淡い笑みを浮かべていた。 「こら、セフェリス。お客さまの前だぞ。グレミオと遊ぶのなら、向こうでしなさい」 「……はぁい」 「ほら、ぼっちゃん。行きましょう?」 テオにたしなめられて客間を出て行くセフェリスと、それを先導するグレミオ。 ドアが閉められても二人の元気な会話はしばらくの間こちらの耳にも届いて来た。 『ぼ、ぼっちゃん!髪をひっぱらないでくださいっ…痛いです〜〜』 『だってグレミオの髪キレイなんだもん〜〜v』 そんな会話を聞きながら、俺はこのとき今まで味わったことのない程のすがすがしさを胸いっぱいに感じていた。 ……会えて良かった。彼は幸せそうだ……長いこと俺の胸の中に居座っていた『つかえ』が溶けていくような気がした。 もはや迷いは無い。俺は決意を込め、はっきりとテオに告げた。 「決めたぞ、テオ」 「……何をだ?」 「俺は将軍を辞める。明日にでも、陛下にそうお伝えしよう」 善は急げだ、俺は立ち上がった。帰ったら直ぐに屋敷の人間に暇を出し、旅支度を進めなくては。 テオは前々から俺が国を出たがっているのを知っていた所為か、大して驚いた様子も見せなかった。 だがやはり名残惜しそうな表情を隠さないままソファーから腰を上げ、客間のドアノブに手をかける俺に言った。 「本当にこの国から出て行くのか?ゲオルグ。おまえほどの男が……」 おまえほどの男が…か。なあテオよ、俺はそんな賛美に値する人間じゃない。 ドアを開け、おもむろに振り返りながら俺は皮肉を込めて笑ってみせた。 「…俺はそこまで義理固くないんだ。あいつと寝たのがその証拠さ」 そのときのテオの表情は、まあ予想できた範囲ではあったが……俺はそのままドアを閉め、玄関に向かった。 勝手知ったるテオの屋敷、一人廊下を歩いていると、どこからか声がした。 『もう、ぼっちゃん!あんまり髪をひっぱると、グレミオ髪を切りますよ?』 『え……ダメ!それはダメ!!切っちゃダメ〜〜〜!!!』 『ふふっ……冗談ですよ♪』 ……そうか、だから髪を伸ばしていたんだな。自然と頬が緩んだ。グレッグミンスターを出れば、 おそらくもう二度と会うことも無いだろう。だが俺はきっと忘れることはない、 罪深い娼婦から聖女へと生まれ変わった一人の青年のことを。 屋敷の玄関をくぐる。そして重厚な扉を閉める最後の瞬間まで聞こえ続けていたのは、 青年と子供の楽しげな笑い声だった。そして俺の胸に去来する、ひとつの想い。 あの美しいメアリーマグダレンを悪霊から救ったのは 果たしてテオなのか、それとも―――。 −あとがき− マグダラのマリア(Mary Magdalene)の意味を同名のロリィタブランドのサイトで知り、 そこから妄想を発展させて出来たお話です。 時系列がたぶん矛盾していますが、気にしないでくださいな。 グレミオが元男娼で、テオを誘惑したことがきっかけで拾われるというのは、 現在未完の長編「終わらない歌」における設定でもあります。 本来ならこれは長編を書き上げてから載せるべきお話ですが、 いつになったら完結できるのかさっぱり判らないので先に載せてしまいました(笑)。 2010年9月30日、グレミオの日の記念です。 |