歴史は私情をも押し流すのだろうか。セフェリスはグレミオに拒絶された夜以来、 あんなにも恋焦がれていたのが嘘のように、 まるで絵に描いたような『強い信頼関係で結ばれた主と付き人』として振舞っていた。 そして誰もがその信頼関係を疑いもしなかった。ある一人を除いては。
それは、オデッサがリーダーだった頃からの解放軍の初期メンバーでもあり、 帝国に追われる身のセフェリスを見出し、解放軍と引き合わせるきっかけを作った男、通称『風来坊』のビクトールだった。
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(おっ、起きたかクレオ。用があるんでな、取り敢えず外に出てくれや)
クレオとビクトール、リーダーのセフェリス、付き人のグレミオ、そしてエルフのキルキスと元帝国将校のバレリアは 、帝国将軍クワンダ・ロスマンの残虐な所業を伝えるために、 焼けたエルフの村から本拠地へ戻る途中だった。エルフの村から次のコボルトの集落まで1日では歩ききれず、 今夜はテントを張り野営をすることとなったのだ。皆が寝静まった頃、ビクトールはクレオだけを起こし、こっそりと外に出た。
「…………で、なんだい。その『用』ってのがくだらなかったら飛天月刀でアンタの大事なイチモツ切り落とすからね…」
寝起きの悪いクレオはいたって不機嫌だった。そのどす黒いオーラに押され気味のビクトールは、 ちょっと時期を早まったかなーと軽く後悔した。
「い、いや……そんな大したことじゃないんだが……」
少々言い出しづらいのか、ビクトールはざんばらの黒髪をがしがしと掻いた。
「前々から、うすうす嫌な予感はしてたんだ…野生のカンってやつでな。でも今日、確信に変わっちまった」
「だからなんのことだい」
「セフェリスとグレミオだよ。あいつら、ただの主従じゃねえだろ」
一瞬でクレオの眠気が覚めた。だが努めて表情には出さず。
「言ってる意味がわからないよ」
だがクレオの答えはビクトールに確信を植え付けた。ビクトールは普段の鷹揚な雰囲気が嘘のように、 真剣な表情になり重ねて訊ねる。
「あんなの主従じゃねえ…もっと特殊な関係だ」
「そりゃあそうさ。セフェリスさまが4つのときから母親代わりだったからね」
あくまでしらを切るクレオの態度に、ビクトールが声を荒げた。
「しらばっくれるな!その間に痴情のもつれが1度か2度!あっただろう!!」
尋常でない声音にクレオが眉をしかめる。皆に聞こえるよ、とビクトールを静かにたしなめ、 そして大きく長いため息をつくと、僅かに目を伏せた。
「……確かにセフェリスさまにはグレミオを意識して……たぶん恋をして、悩んでた時期があるよ。 でもなんだか知らないけど上手くいかなくて、ふっきれたみたいでね。あの通りもとのサヤ……」
セフェリスがグレミオを殴った夜……あれ以来、 彼らの仲はまるで何事も無かったかのように、すっかり元通りになっている。
「…違う。ありゃあ現在進行形だ」
クレオの反応が一瞬、遅れた。
「…………え?」
「クワンダに焼かれたエルフの村に着いたとき、グレミオがキルキスを慰めてただろ。 そのときセフェリスが、あいつ、とんでもねえ顔で二人を睨み付けてた」
クレオはこの男の観察力に内心驚嘆せざるを得なかった。あのときは全員がキルキスとグレミオの方に気を取られていて、 セフェリスの表情など見ていなかったはずだ。
「………。セフェリスさまは…前々からそんな素振りは見せてたのかい?」
「いや……出会ったときから、あまりにもあいつがグレミオをじっと眺めてる回数が多いのがひっかかってたんだ。 気のせいかと思ってたんだが……今ならわかる。あいつはまだ恋焦がれてるんだよ」
セフェリスたちとビクトールが出会ったのは、セフェリスがグレミオを殴ったあの夜からまださほど日数の経っていない頃だ。 ビクトールは言った、『まだ』、恋焦がれている。一度たりとも、ふっきれてなど…いなかったのか。
「……それで、私は何をすればいいんだい?ビクトール。あんたのことだ、 唯の出歯亀でこんなときに私に相談をしないだろうからね」
ビクトールは頷いた。そのためにクレオに声をかけたのだ。
「ああ。おまえさんはセフェリスに特に信頼されてるからな、あいつにやんわりと釘を刺しておいて欲しい。 こいつは事によってはスキャンダルに発展しかねない。 特にリーダーが同性に惚れてるなんて解放軍全体の士気に関わってくる」
「しかし…そこまで心配するようなものかね。別に軍隊では同性愛は珍しくないし、そりゃあ多少は偏見もあるが……」
例えば帝国五将軍のひとりでもある花将軍ミルイヒなどは、 見目のよい少年をよく小姓として侍らせているが、彼の奇抜なファッションセンス以上の悪評が立つことはさほど無かった。 とはいえ彼は同性愛者ではなく両性愛者だとのことだが。
「クレオは都会育ちだからな。地方に行くほど偏見の目は厳しいもんだぜ。……だがそれだけじゃない………」
感情の昂ぶりとは恐ろしい。時として周囲が目に入らなくなる程のめり込む。 その状態が長く続けば集団にとって致命傷となりかねない。
そしてあの時のセフェリスの、目……あれは………あれは、本当に…恋なのか………? 思い出すだけで背筋がほのかに冷たくなる。…あんな、今にも人を殺しそうな―――。
「…ビクトール?」
「いやいや、何でもない。ちょっとだけ、ヤな予感がしてな……明日にでも、セフェリスに釘、刺しといてくれ。 用件はそれだけだ…」
ビクトールは気紛れにわざとらしく伸びをして、テントに視線をやる。
「…あんまり大きないびきかくんじゃないよ、ビクトール。みんなが迷惑するからね」
クレオは嘆息しながら、女性としてはいまいち気の利かない慰め方をすると、ふたりはテントの中へと戻っていった。
翌朝、視界が利く程度に明るくなると一行は動き出した。 ビクトールはあくびをかみ殺しながらバレリアと共にテントを畳み始めている。
「じゃあ私は水を汲んできますね」
グレミオは皮袋をいくつか手にして少し離れたところにある川へ向かっていく。それをエルフのキルキスは追いかけていった。
「グレミオさん、ぼくも行きます。一人じゃ大変でしょう?」
「え、でもキルキス君は無理せずに休んでいた方が……」
帝国五将軍のひとり、クワンダの兵器によって故郷を焼かれたキルキスは、昨日の夜もなかなか寝付けずにいて、 グレミオは少しでも慰めになればとその話し相手になっていた。 心配そうなグレミオに、キルキスはなんとか笑顔を作ってみせる。
「大丈夫です……何かしていた方が気が紛れますから…」
そのふたりの様子をセフェリスはずっと手持ち無沙汰に眺めていた。そんな彼にクレオが話しかける。
「キルキス君……グレミオにすっかり懐いてますね」
「うん、そうだね」
セフェリスは普通に相槌を打った。
「…やきもちとかは焼かないのですか?セフェリスさまは」
クレオの言葉にセフェリスは少しだけびっくりする。意外だったのだろう。
「ええっ?そんなことは……子供じゃあるまいし」
そう言いつつも少し考えるしぐさをした。クレオはその一挙動を見逃すまいと見つめている。
「…うーん…でも、グレミオっていつもうるさいくらいぼくに構ってくるのに、 その時間が減ったから……少し、物寂しい…かなあ…?」
なんだかお母さんとられちゃったみたい、とセフェリスは笑う。 その笑顔は酷く無邪気だとしか言えない。言葉が遠回し過ぎたのだろうかと、 クレオはもう少し踏み入った質問を考えた。
「セフェリスさまは……まだ、グレミオのことが好きなのですか?」
しかしセフェリスは一瞬きょとんとして、笑いながらこう答えた。
「もちろん、好きだよ?何言ってるんだ?別にグレミオ嫌いになってた時なんてなかったじゃないか」
「……ですから…」
まるではぐらかされているような違和感をおぼえつつも、 クレオは慎重に言葉を選んで、今度こそ決定的な質問を投げかけた。
「ですから、セフェリスさまは、…グレミオに恋をなさっていたでしょう?今でもまだ忘れられないのですか?」
そのとき、セフェリスの笑顔がほんのわずか、歪みを見せた。
「恋?……忘れる?」
途端にその顔から表情が消えた。何かを考え込むように「恋?…忘れた?…グレミオ……恋?」 と繰り返しぶつぶつと呟き続ける。
「セフェリスさま?」
クレオがはっとして異変を察知する。セフェリスの様子がおかしい。見開いた目は虚ろで、 怯えるような顔色は徐々に青ざめて身体は小刻みにふるえ始めている。
「恋、………だなんて、まさか…そんなこと……だって……グレミオ、ぼくが…忘れ…、る?… ミオ……ぼくが、…どんなにしても、…ってくれなかったじゃない……だから、忘れ……て…」
クレオは慌ててセフェリスの肩を掴んで激しく揺さぶった。
「セフェリスさま…セフェリスさま!」
その声に、セフェリスの身体がビクッと跳ねる。一瞬、知恵遅れのように無垢で幼い顔をしたかと思うと、 今度は子供のようにけろりと笑ってみせた。
「…うん。そんなこともう忘れちゃったよ。だから平気」
あまりにも無邪気な声で『忘れた』と言う。…本当に?しかしクレオは、これ以上問い詰めることが出来なかった。 戦場では勇猛果敢で知られるはずの彼女が、恐れたのだ。
「………ええ…それならいいんです…」
クレオの心情を知らずして、セフェリスは遠く大森林を見据える。その表情は既に解放軍リーダーとしてのものだった。
「今日はどこまで進めるかな……一刻も早く城に戻らないと。クワンダ・ロスマンの軍を打ち破るために」
クレオの表情は晴れない。ビクトールの言っていた『嫌な予感』、 その片鱗を垣間見た気がする。戦場での経験など、こんなとき全く役に立たない。 生粋の軍人女性である我が身をクレオはそのとき初めて悔いた。



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