セフェリスたちはガランの関所に戻り、リュウカンの作る解毒薬の完成を待つ間にスカーレティシア城の攻略法を練っていた。 『解放軍リーダー第一の臣下』の死をうけて解放軍の全軍は喪に服し、クレオやパーン、カミーユなど本拠地に残っていた何人かも 訃報を聞いて関所にまで駆けつけてきた。
「ようクレオ、…まぶたが腫れてるぜ」
「ビクトール……」
憔悴した表情のクレオにビクトールが声をかけた。当の彼も、いつもの覇気が無い。 クレオはさきほどセフェリスに会ったのだろう、辛そうに語った。
「さっき、セフェリスさま………いや、ぼっちゃんに、慰められたよ。パーンと一緒にね。 パーンのやつ、なかなか泣き止まなくってさ」
クレオは、また涙が溢れそうになるのを感じながら、震える声でビクトールに言った。
「普通、逆じゃないかい……?」
「…………」
まさかこんなことになるなんてね、と、涙を拭いながらクレオは後悔の念を滲ませる。
「私も付いていくんだったよ…そうすれば、もしかしたらグレミオは……」
たとえクレオがあの場にいたとしても、あの状況では結局誰かが犠牲にならなければならなかった。 それを知りながらも、クレオはそう言わずにはいられなかった。
「クレオ、今更言っても仕方が無いことだ……」
ビクトールが気にかけているのは、それとは別のことだった。先ほどのクレオの言葉。
―――普通、逆じゃないかい……?
セフェリスが落ち着きすぎているのが不安だった。ビクトールの勘が正しければ、 おそらくセフェリスは……。信じたくないが、こういう勘だけは鋭いことはビクトール自身が嫌というほどわかっていて、 そんな自分を時折呪いたくなるのだった。


ガランの関所(要塞)は、広大なるトラン湖からちょうどデュナン川へと注ぐその位置に建てられている。 草木すら眠る丑の刻、今宵は満月だった。トラン湖には真円の月明かりが降り注いで、 遥か彼方へと伸びる幻想的な光の道を作り出していた。
深夜の見張り番を総て気絶させたセフェリスは、ゆったりとした足取りでトラン湖のほとりに近づいた。 そして何かに導かれるかのように、その光の道を辿って、静かに湖へと足を踏み入れた。 少年の相貌からは何の感情も読み取れない。まるで何かしらに憑かれているかのようだった。
足首、膝、腿……歩を進めるごとに身体は水に侵されていく。 ざぶ…、ざぶ……、次第に水の圧力が増してくる。かまわずセフェリスは歩き続けた。
セフェリスの背後、岸の方から声がかけられたのは、ちょうどセフェリスの腰の辺りまで水に浸かった時だった。
「…気味が悪いくらい綺麗な月だ。魅せられたのか?リーダーさんよ」
ビクトールは、自分の言葉がセフェリスに届くとは思っていなかった。だからセフェリスがこちらを振り向いたとき、 少々意外に思った。だがやはり、すぐにセフェリスはビクトールに背を向けた。 まるで海のように広がるトラン湖の遥か遠くを見つめながら、セフェリスはぽつりと言葉を漏らした。
「どこか静かなところで」
また一歩、踏み出す。そのたびに、水面の光が揺らめいた。
「ふたりで、暮らしたいな……」
更にもう一歩。水位はセフェリスの胸にまで達した。
「一日中、のんびり釣りをして……家に帰ると、グレミオが優しく迎えてくれるんだ。『おかえりなさい』って……」
それはもう叶わない夢。それでも語ってしまうセフェリスの声が、かすかに震えている。
「帰りたい……グレミオのところに、帰りたいよ……」
泣いているのだろうか……背を向けられている所為で、ビクトールには判別がつかなかったが。 ビクトールは今までの己の所業とその犠牲になった二人を想いながら、沈痛な声音で語った。
「今更言うのもなんだが……人を愛すること自体は、悪いことじゃない。むしろ尊いことだと思う。 しかし、おまえはリーダーで、今は戦争中だ。時期が時期だったんだ……俺は今まで、 解放軍の行く末を想い、それと同時におまえの精神を案じ、行動してきたつもりだ。 …どっちも俺には大事だった。だが……どうにもならなかった。俺も悪かったのかもしれない。 おまえたちの感情は結局理解できなかったからな。…ただ、俺はもう、……見てられねえんだ…… 風でほろほろと崩れていく砂の城のように、これ以上おまえが壊れていくのを………」
唐突にビクトールは鋭い声でセフェリスの名を叫んだ。あまりにも大きな声にセフェリスが咄嗟に振り向くと、 ビクトールは腰に下げていた剣を、鞘ごとセフェリスに向けて放り投げた。
「貸してやる」

楽になれよ。

そう言い放つと、ビクトールは彼らしくなく、泣き笑いのように…皮肉笑いの極限のようにその顔を無様に崩して、 ひとつの結論を導き出した。
「どっちも大事、なんて…ぜーたく病だったな。取り返しがつかなくなってから気づくんだ…… はは…ディジーも……オデッサも……いつだって…俺は、そうだった……… 後悔はしない。俺はおまえを選ぶよ、セフェリス。あいつんとこ帰って好きなだけ『愛してる』って言ってやれ。 …だからもう、」
楽になっていい。

セフェリスは無表情のまま、逆光でよく見えないビクトールの顔と手に取った大きな剣とを交互にじっと見つめていたが、 やがておもむろに鞘から抜いた。月明かりに白刃がきらめく、それはひどく美しいさまであり、 綺麗だな、とセフェリスは少々場違いなことを考えていた。
機械的な所作で剣の刃を己の首筋にあてた。何も考えずに掻き斬ろうとする。力を込めようとした。 しかし何故か、斬ろうと思ったその瞬間に手元が小刻みに震え始めた。
「……あれ…?」
何故か上手く斬れない。痙攣が刃に伝わって僅かに血が滲む。そう、滲むだけだった。 何度も柄を握りなおし、力を入れようとする。その度に失敗して、セフェリスは呆然としながら呟いた。
「どう…して……?」
ガタガタと腕を震わせながら、心底不思議そうに、目を見開いて。
「手が…これ以上動かないんだ……苦しいのに……苦しくてたまらないのに…… この喉を切り裂けば…楽になれるって、わかってる、はずなのに……どうして……!?」
その言葉を聞いたビクトールは、胸に熱くこみあげてくるものを感じた。 信じられない、と。心に満ちてくる感情、それは 『喜び』だろうか。いや、おそらく『感動』だ。その黒い瞳が潤んでくるのは、気のせいではない。
「…それは………おまえが絶望してないからだ………」
ともすれば震えてしまいそうな声を必死に抑えながら、ビクトールは言った。
「感じ取れないほどの小さな希望……それが心のどこかにある証拠だ……おまえはまだ総てを諦めてはいない。 まだ……おまえは、戦える……!」

―――最後まで……とを……て…ください……―――

「グレ…ミオ………」
その名を呟くのと同時か、唐突にセフェリスは平衡感覚を失った。
「セフェリス…!?」
水の中に倒れこんだセフェリスを見てビクトールが慌てて駆け寄ってくる。 急速に暗くなっていく意識の中で、グレミオの力強い声がした。
『最後まで信じることをつらぬいてください』
―――ぼくの信じることって?
『前にも言ったでしょう?ぼっちゃんはグレミオの誇りだと。大丈夫…ぼっちゃんならきっと出来ます。 最後まで、戦い抜いてください』
―――うん…グレミオが、信じてくれるなら……がんばる。
ビクトールがどうにかセフェリスの身体を水の中から引き上げる。気を失ったセフェリスの顔は、 心なしか微笑んでいるようにも見えた。
―――だから、全部終わったら、迎えに来てね………


第二部 了



-あとがき-
第二部、第三部は大体原作に沿ったストーリーですが、
戦争シーンはほぼカットし、坊とグレミオの心情描写を中心に書きました。
戦争中の恋愛沙汰…あまり褒められたものではないので、
書く側としては、精神的にきつかったです。
そしてグレミオ好きにとっては、
ソニエールは手を出してはいけない聖域だと勝手に思っているので、
『緊張する』どころの騒ぎではありませんでした。
書き終えたとき、「ああ、書いてしまった…!」とかなりへこみました。
でもあまり感動的なものにはなりませんでしたね、
ひとえにわたしの力不足によるものです。
もっと上手く強い文を書けるようになりたいです。



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