「はー、皇帝陛下ってどんななんだろな。やっぱあのテオさまより更に威厳があるんだろうな〜〜 絶対カッコいいんだろーなーーー」
セフェリスと同い年で無二の親友であるテッド少年は、 簡素なテーブルの下の足をばたばたさせた。その幼い仕草に童顔とあって、どうも14歳の少年とは思えない。
ここはテオが身寄りのないテッドのために用意した小さな家だ。 セフェリスはよくテッドの家で談笑を楽しんでいた。 ここではマクドール家の屋敷ではしにくい会話も気兼ねなく出来るし、 近所迷惑にならない程度に大声で笑うことも出来るのだ。
その所為かこの家では二人の行儀は悪くなる。セフェリスは落ち着きのないテッドの足をテーブル越しに軽く蹴った。
「テッド……今夜帰ってきたら好きなだけ話聞かせてあげるってば…」
呆れたように親友をなだめるセフェリスをテッドは心底不思議そうに見た。
「…オマエさあ、ちょっと落ち着きすぎじゃねえ?あの皇帝陛下との謁見の前だってのに」
「うん、今朝、父さんが言ってくれたんだ。『大丈夫だ、楽にしてろ』って……」
「はあ……そんだけ?」
「だって、父さんが言うんだから、多分大丈夫だと思うし。…グレミオはずっと落ち着かないみたいだけど」
「へえ。グレミオさん心配性〜」
グレミオの話題が出てきて、テッドは思わずテーブルに身を乗り出した。 セフェリスに打ち明けられてからというもの、テッドはやたらとこの話題が好きだ。 純真無垢なセフェリスに面白半分で吹き込んだこともいろいろある。
「なぁなぁ、それでおまえ、金髪美人さんと少しは進展したのか?」
「…は?何が?」
セフェリスはすっとぼけるが、眉根が僅かに寄ったのを見ると、進展ナシだ。
「だから、グレミオさんと!おまえのことだから夜とか寝れてないんだろ? この年頃って大変だよなあ?それで結局毎晩一人で抜……」
「おまえと一緒にするな!ちょっと朝パンツが汚れてるだけだ!!」
セフェリスの墓穴発言に、テッドの腹筋は崩壊した。
「くく……それでパンツだけこっそり自分で洗ってるわけ?いや、こっそりも何も、グレミオさんには筒抜けだろうけどなあ」
「ううっ……」
それを言われると痛かった。パンツだけ自分で洗ってるなんて「夢精しました」と堂々グレミオに言っているようなものだ、 当のグレミオは『ぼっちゃんもお年頃なんですねえ』としみじみしているだけかもしれないが。
「抜き方はとっくに知ってるんだろ?だってさぁ初射精がよりにもよってグレミオさんに……」
「だーーーーー!!!その話は二度とするなって言っただろ!!ああ、口を滑らせたぼくが馬鹿だった…!」
今にも狼牙棍を振り回しそうな勢いで頭を抱える親友を傍目に、テッドはやや真面目に考える。
(でも……ただの『お母さん』が、自分の手で抜いてあげるなんてこと、普通しないと思うんだよ…な………)
「テッド…?」
いつもより少し神妙な表情になっているテッドに気づき、セフェリスが声をかける。
「なあセフェリス………そのときのグレミオさん、…どんな雰囲気だった?」
真顔のまま訊ねられて、セフェリスはあのときのことを思い出そうとする。 されてる最中のことを思い出すと大変なことになってしまうので、その前後を。
「いつも通り…優しかっ…た、よ?離れたくないって我侭言ったら、 小さい頃みたいに一緒に寝てくれたし、歌もうたってくれたし」
「い、一緒に、ねぇ……」
当時11歳の少年と24歳の青年が寄り添って寝ている姿をうっかり思い浮かべてしまったテッドは、少々ぎこちなく笑った。
(完全に子供扱いか…俺の考えすぎかな……いやそれとも、グレミオさんが稀代の精神力の持ち主だったとか……いやいや……)
結局結論がつけられなかったのでテッドは適当にはぐらかした。
「ま…まあ、考えてみろよ。グレミオさんはおまえ以外のこと見えてないぜ? すっげえわかりやすいもんな!おまえといるときのグレミオさん、ぼっちゃん大好きオーラが出まくってるし。 こんなに愛されてそれだけじゃ不満……………………なんだな…?」
励まそうとテッドが話しているうち、次第にどんよりと暗くなって俯いていくセフェリスに、 テッドは作り笑顔を引きつらせて微妙に語尾をすり替えた。
「グレミオがぼくを好きなことくらい、知ってるよ……ぼくも、ずっとずっと昔から、すきだったもん……」
くしゃっと顔を歪めてセフェリスは今にも泣き出しそうな表情をする。
「でも…なんで……いつから、こんな苦しくなるまで好きになっちゃったんだろ……… グレミオの『好き』と、ぼくの『好き』は、違う………」
「……違う、って…なんでそう言い切れるわけ?」
返ってきた言葉が少し意外だったのだろう、セフェリスが顔を上げると、 テッドは真面目7割呆れ3割の表情で見つめてきた。
「セフェリスさぁ、おまえの中で『すき』っていう無邪気な感情と、『好き』って恋愛感情が重なっちまったのは、 いつからだったか判るか?」
「…えっ?……」
そんなの、…判らない。答えられないセフェリスに、テッドはにやりと笑った。
「な、感情のスペクトルなんてすっげー曖昧なもんなんだよ。だからグレミオさんもいつセフェリスに 恋愛感情を抱いてもおかしくないんだ」
あるいはもうなってるかもなあ、とさりげなく励ましておく。
「でもな、これだけは断言できる。グレミオさんはたとえおまえに恋したとしても、 絶対にそれをおまえに打ち明けない。実質的に家族同然なのに、『使用人だから』『同性だから』って、遠慮するんだよ」
「あ……」
「だからおまえから告白しなきゃ。おまえが好きでもない嫁さんもらって後悔しないうちに、 グレミオさんの気持ちを訊いてみろよ」
テッドは人懐っこい笑みを浮かべながら思いっきり拳を突き出す。当たって砕けろ、とでも言いたいのだろうか。
「俺は別にいいと思うんだけどなあ、おまえとグレミオさんが結婚しても。 おまえの母親も平民出身だろ?跡取りが必要って言っても養子をとればいいだけじゃないか」
「そんな簡単な問題じゃない……それに何だよ、結婚って!飛躍しすぎ!!」
「も〜〜〜いちいち赤くなっちゃって、可愛いなあv」
かわいーかわいーvvvとテッドはセフェリスの前髪をぐりぐりくしゃくしゃと撫で回す。
「…………」
セフェリスは、自分と同い年のくせにやたらと子ども扱いしてくるこの親友を、 こしゃくだと思いながらもどうにも憎めないようだった。
そのとき、出入り口のドアがノックされる音が二人の耳に届いた。
「おっ、どうやらお迎えが来たみたいだぜ」
ドアが開き、噂の金髪美人さん……もとい、グレミオが入ってきた。
「ぼっちゃん、そろそろお時間ですよ」
セフェリスは軽く頷くと椅子から立ち上がった。これから父と一緒に皇帝との謁見の儀を行うのだ。
「じゃあテッド、またね」
テッドに別れの挨拶をしてグレミオに向き直ると、その姿を見たグレミオは「あ…」と何かに気づいた。
「前髪が乱れてますよ?ああもう、これから大事な謁見なのに……」
心配そうにセフェリスの顔を覗き込んで、手ぐしで前髪を整えだした。
「!!」
セフェリスは物凄い勢いでグレミオの手を振り払った。グレミオの指先の感触に思わず感じてしまったのだ。
「いいっ!このくらい家の鏡見て自分で直すよ」
「え、でも……」
ばしっと腕を叩かれてしまったグレミオは何が起こったかわからないような顔をしている。 そんな彼に向かってセフェリスは思いっきり叫んだ。
「グレミオにさわって欲しくない!!」
言うだけ言うとセフェリスは脱兎の勢いで家から駆け出していってしまった。 あとに残されたのは、顔を青くしたテッドと、重すぎる空気を纏って立ち尽くすグレミオのみ。
(…うわあ……落ち込んでる落ち込んでる……!)
グレミオの重力場に押し潰されそうになりながら、テッドは心の中で頭を抱えた。 とにかく親友とその想い人へのフォローをなんとか入れようとする。
「グ、グレミオさん……気にしない方がいいですよ。あいつも思春期なんだし、反抗期のひとつやふたつやみっつ………」
これはフォローになったか?…やっぱり駄目か?テッドが不安を感じ始めた頃、 ようやくグレミオはテッドの方を向いて、まだほんの少し哀しみをたたえた瞳で微笑んだ。
「………。そうですね…私は大丈夫ですよ。…気にしてくださってありがとうございます。 あ…テッド君、よかったら後でお屋敷に来てくださいね。今日はご馳走になりますから、ご一緒しましょう」
「え…」
ご馳走、という言葉につい反応してしまったのと、グレミオを慰めるためもあって、テッドが大げさなくらい飛び跳ねる。
「…ホント!?ありがとうございます!あー、グレミオさんの料理、楽しみだな〜」
そのはしゃぎっぷりに(半分は意図的なのだが)グレミオは思わずくすくすと笑った。
「ええ、テッド君がいた方がぼっちゃんも喜びますから」
「それじゃあ後で」とテッドが別れの挨拶をするとグレミオも優しく微笑んで「ええ、後で」と答えて帰っていった。
「………あれ?」
別れ際のグレミオに何か微妙な違和感を覚えて、テッドは一人で首をかしげた。 少し考え込んで、ようやく気づく。最後の挨拶をした時のグレミオの微笑み、 それはいつも彼が浮かべている穏やかでほんわかした微笑みと全く変わりの無いものだったのだ。 溺愛しているセフェリスにあんなことを言われた直後だというのに。 普通の人間なら、そんなに素早く気持ちを切り替えることなど出来ないはずだ。
(グレミオさんってもしかして……本心を押し殺すのに凄い慣れてる人なんじゃ……)
テッドは一瞬意識が遠くなった気がして、今頃慌てて前髪を直しているであろう親友を想った。
「ひょっとしたら……厄介な相手に惚れちゃったかもなあ?セフェリス……」






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