真夜中、午前0時過ぎ。もうすぐ12歳になるセフェリスは、厨房の向かいの部屋の扉の前で立ち往生していた。 その表情は暗く沈んでいる。
セフェリスは自分の身に起きた異変と、それに対する不安を誰に相談するか迷っていた。 うら若い女性であるクレオにはまず無理だし、パーンはもう寝ている可能性が高く起こすのも躊躇われた。 テオは視察で今夜はいなかったが、どの道、尊敬している父にはとてもじゃないが恥ずかしくて言えない。
結局一番気を許しているグレミオの元を訪れようとしたのだが、 …それでも恥ずかしい。でもこのままでは辛いばかりなのだ。意を決してドアをノックした。
「はい?どうぞ」
中から声がする。けれどノックしたは良いがセフェリスはなかなかドアノブに手をかけられなかった。 結局ドアは内側から開けられてしまい、グレミオは深夜の来客相手に随分と驚いた顔をした。
「ぼっちゃん…?お休みじゃなかったんですか?」
「………………」
「……とりあえず中に入りましょうか?」
グレミオはひとまず、何か言いづらそうにしているセフェリスを部屋に入れた。 よく片付けられたグレミオの部屋。ベッドサイドに明かりのついたランプと本が置いてある。読書中だったのだろう。
「そのお歳でおねしょというわけでもないようですね、怖い夢でも見ましたか?」
セフェリスをベッドに座らせ、目線をセフェリスと同じ高さに合わせてグレミオが尋ねる。
「…えっと……」
「はい」
今よりもっと小さかった頃、雷が怖いとか一人だと寒いからとか何かと理由をつけてグレミオと一緒に眠った部屋。 ある意味自分の部屋より安心できる場所、というと変なのだろうか。
「……ぼく、病気かもしれない……」
その言葉に、ランプの明かりでも判るほどグレミオが青ざめた。
「どこか痛いんですか!?グレミオはお医者様じゃありませんから、分からないかもしれませんが、 と、と、とにかく落ち着いて症状を……」
「…あのね」
セフェリスのことになると、見ていておかしなほど慌てまくるグレミオ。 その姿を見て何となく安心してしまった。グレミオになら何を言っても大丈夫だと。 セフェリスはグレミオの右手を取ると、彼の手のひらをゆっくりと『そこ』へ導いた。
「…………」
「目が覚めたら、硬くなってたんだ……」
「…………」
「これ……病気?」
不安げな問いかけとは対照的に、拍子抜けなほど間延びした答えが返ってきた。
「あの〜、家庭教師様や、お友達からこういうお話を聞いたりは、しませんでした?」
覚悟していたものとは違う反応にセフェリスは目をぱちくりさせながら、首を横に振る。 一方グレミオはほのかに胸が温かくなるのを感じた。この少年はあまりにも無垢で清浄だと。
「病気じゃない…の?」
「これは、生理現象ですよ。大人になれば誰にだって起こります」
しなやかな黒髪を優しく梳くと、セフェリスは額を撫でられる猫のように目を閉じる。
「だからこれは、ぼっちゃんの身体が大人に変わっていっている証拠なんです」
「そっかあ……」
病気ではないことに安心したのか、ほっと息をついた。
「ぼっちゃん、精通はまだですよね?普通は、夢精してから朝になって気づくんですが…… 出す前に目が覚めてしまったんですね」
耳慣れない言葉にセフェリスが軽く首をかしげる。
「精通?…夢精って?」
「夜眠っているうちに、ここから『精液』という、赤ちゃんの元になるものが出てくるんです。 大抵は、そうですね…えっちな夢を見たりしたときとかに」
「え、え、えっちなゆめ!?」
途端に、ぼん!と音が出そうなほどセフェリスの顔が真っ赤になった。
「あ、はい……普通なら」
「そんなっ、ぼ、ぼくはただ、夢でグレミオがぁっ、でも、え…えっちだなんてっっ」
首筋まで真っ赤にしてとんでもないことを口走っている。……いったいどんな夢を見ていたのか。 それは聞かなかったことにして、グレミオは親代わりの務めを果たすことに専念した。
「…まだ硬いですね。このままじゃ眠れないでしょう?楽にする方法を教えます……どの道知らなければいけませんから」
「う、うん」
よく意味もわからないままセフェリスは頷いた。目が覚めてからずっと下半身が辛かったのだ。
「じゃあ、服を全部脱いでください」
じゃあそこのお皿を片付けてくださいね―――あまりに日常的ないつも通りの声で非日常的なことを言われて セフェリスは面食らった。
「ぜ、全部…?」
不安げなセフェリスを宥めるよう、穏やかにグレミオは微笑んだ。
「初めのうちはいろいろ汚してしまうんです。慣れたら脱がなくてもよくなりますから、ね?」
「…うん……」
母親代わりの青年の優しげな言葉をひとまず信じたのか、セフェリスは夜間着の前釦をたどたどしく外していった。 上半身を露わにすると外気に触れた肌が震える。ズボンを下ろせば否応無く自分が裸になっているのが分かり、 思春期に足を踏み入れかけた少年は寝室で裸になっているというこの状況に頭がついていけず、 頬が紅潮していく。セフェリスはおよそ数分ためらってから、とうとう下着も脱いだ。
「…なんか……恥ずか…しい…よ……」
(すごく、どきどきする…どうして……?)
セフェリスがグレミオの前で全裸になるのは別に珍しいことじゃない。 小さい頃は毎日のように一緒にお風呂に入っていたのに。
(―――だから、見慣れていた………はずなのに……)
グレミオは予想外に声を失った。目の前に居たのは、弟のように息子のように慈しんでいた幼い子供ではなく、 徐々に『性』の片鱗を覗かせ始めるしなやかな少年の姿だった。
(そんな…これは……本当に、ぼっちゃん…?)
暗闇の中、ランプの明かりでほのかに浮かび上がる、羞恥で潤んだ瞳も、紅く染まった頬も、 処女色の胸の飾り、勃ち上がりかけて震えている肉茎、すべて無防備に晒されて。
ぐらり、と、もう長い間忘れていたはずの抗い難い衝動が湧き上がった。それは獲物の羊を目の前にした、狼の衝動だった。
……喰ライタイ―――。
「え……っ?」
自分の表情を悟られないように、相手の顔が見えないように、グレミオはベッドに腰を下ろしその上にセフェリスを座らせた。
グレミオが見えなくなったことに不安を覚えたのか、セフェリスは後ろを振り返ろうとしたが、 小さく悲鳴を上げて身を強張らせた。グレミオの手が後ろからセフェリスの自身を握り込んだのだ。
「あ……!」
「…処理の仕方を教えます。私がお手本をやって見せますから、ちゃんと覚えてくださいね……」
口を衝いた声、それはいつもの声ではなかった。そのことにセフェリスが疑問を感じる前に、 手のひらで双珠ごと幼い自身を包み、ゆっくりと動かし始めた。途端、 セフェリスの背筋を、電流を流されたようなゾクゾクとした未知の感覚が駆け上がる。
「ひあっ…!」
思わず上がってしまった艶めかしい声にセフェリスは驚いて、慌てて口を押さえる。 するとグレミオはその手をやんわりとたしなめた。
「声は殺しちゃ駄目なんですよ?お屋敷は広いですから、誰かに聞かれることも無いですし」
「…やぁ…ん……だ、め……そんな、したら…あたま、痺れちゃう……変になるう…!」
強烈な感覚に思考が霞む。流される不安に駆られてセフェリスは異変を必死に訴えるが、 それすらも快楽の喘ぎにしか聞こえずグレミオを煽るばかりだった。
「ココ、が、すごく感じるんです。ほら、こうすると気持ちいいでしょう?」
「ああぁ…!き、もちい…い……きもち…いいっ!」
器用な手先でそっと刺激するだけでびくびくと震える素直な身体。もっと鳴かせたい、もっと求めさせたい…… グレミオはことさら時間をかけて愛撫した。しっとりと濡れた双珠を柔らかく揉んで中身をころころと弄び、 敏感なところに触れるか触れないかギリギリのタッチで手指をシルクのようにまとわりつかせては離す。 セフェリスは遠まわしすぎる快感に苛まれ続け、もどかしさで涙が零れた。 何度目かにグレミオの手が離れようとしたとき、セフェリスは本能的に自身を擦り付けていた。
「やだぁっ!もっと、してぇ…!」
自ら腰を揺らしてせがむセフェリスの艶姿に眩暈を覚えて、後ろから耳朶を甘噛みする。 望みどおりセフェリスの呼吸に合わせて強く扱き上げると、セフェリスの悲鳴がますます高くなって行く。
「だめ!だめぇっ…!変なの…来ちゃうぅっ!」
セフェリスは自分の身体の中を灼熱の何かが脳天へと駆け上っていくのを感じた。 その異常事態とも思える初めての感覚に恐怖すら覚えた。
「大丈夫ですよ。私に任せて」
「ひっ……あっ、あっ、あっ!はっ…!!」
「イキなさい」
「――――――ッ!!!」
声にならない悲鳴をあげてセフェリスは達し、何度も何度も痙攣しながら生まれて初めての精を解き放つ。
「あぁ……」
あまりに強すぎた快感に、セフェリスは完全に放心している。脱力した後も身体がまだ勝手にぴくんぴくんと震えていて、 グレミオの劣情を掻き立てる。……足りない。こんなものじゃ全然足りない。狼は完全に牙をむいていた。 もう、どうなってもかまわないから……
全部欲しい。セフェリスの、全部、全部―――
「……フェリス……」
手始めにセフェリスの穢れなき唇を喰らおうと顔を近づける。
「ん……ぐれ、みお……」
顔を寄せたグレミオを何と思ったのか。セフェリスは夢うつつのままグレミオの首に腕を回し、 頬の傷にちゅっとキスをして天使のような笑顔でにっこり微笑んだ。
―――だあいすき……
「………!!」
瞬殺。
そのあどけない微笑みが、一撃のもと、グレミオの内の狼を殺した。
(私は、何…を………?)
セフェリスはグレミオを、心の底から信頼しきっている。……なのに自分は、 その無垢な心を、本気で穢そうとした。性交なんて…ああ、なんて罪深い行為。
目の前の享楽を貪ることしか頭に無い遊女(あそびめ)と同じ目で、 笑いながら未発達の身体を虐待して愉しむ紳士と同じ目で、セフェリスを……!
(どうか……どうか、…許されるものなら………)
静かに、秘めやかに唇を噛みしめる。自分は悪い夢に惑わされたのだ。飢える肉欲と焦がれる恋情が隣り合わせのものならば、 そんなものかなぐり捨ててしまえ。自分は永遠にセフェリスの『母親役』でかまわないから。 こんな想い、扉を閉じ鍵をかけ、誰も立ち入らぬ奥の奥の奥底に封印しよう―――
「ぼっちゃん……」
この妄執を拭い去るように、ティッシュを数枚手にとってセフェリスの身体と自分の手についた精液を拭っていく。 やがて清め終わると、いつも通りの声で、まだ少しぐったりとしたセフェリスに声をかけた。
「ぼっちゃん、もう歩けますか?服を着てください。お部屋までお送り…」
「やだ。ここで寝る」
即答してベッドに横たわり、布団をかぶる。思わずグレミオは苦笑した。
「もう……子供じゃないんですから」
「…離れたくないの」
セフェリスは一人用のベッドスペースの半分を空けて、布団をめくった。入れ、と促している。
(……罪深いひと…)
何も言わず、静かにベッドに入るとセフェリスが擦り寄ってきた。 自分の胸元に頬を埋めるセフェリスの背をどこまでも優しい手で撫でながら、グレミオは祈りに近い想いを抱く。
……このままで。
……ずっとこのまま、離れたくない………

Eo tempore, cum ribi occuri,
Mihi vita laeta fuit.

ひそやかな歌声が暗闇に落ちる。それは料理や洗濯の合間に、セフェリスが眠りにつくときに、 グレミオがよくうたっている歌。言葉の意味は解らないけれど、とても綺麗な歌。
「ねえ、グレミオ」
声をかけると、歌は止んだ。そして「眠れませんか?」と囁いて、セフェリスの黒髪をそっと梳いた。
「あのね、時々思ってたんだけど」
髪を梳かれる感触が心地よくて、セフェリスは目を細めながら訊く。
「どうしてその子守唄そんな終わり方するの?」
この短い歌はいつも、明らかに不自然な形で途切れるのだ。そしてまた同じ旋律を繰り返す。
「ああ、これは子守唄ではないんです」
グレミオは簡単にこの歌のことをセフェリスに教えた。グレミオが幼い頃に母親から教えてもらったもので、 古くから伝わる歌らしい。とても難解な古代言語を歌詞に用いていて、その意味を知るものはもはやいないのだという。
「ふーん?それで、何でそんな終わり方なの?」
「この歌には続きがあるんですよ」
「じゃあ全部歌って?」
「最後まで歌ってはいけないんです」
変な言葉に、セフェリスは首をかしげる。
「どうして?」
グレミオも同じように首をかしげる。
「私にも解りません……ただ、母はこう言っていました」
“この歌の後半は、とても哀しいことを歌っているの。だから、哀しいことは胸にしまって、 決して口に出してはいけないのよ―――”
「うん……?」
セフェリスは、理解したようなそうでないような声を出して、しかし一応納得はしたようだった。
「じゃあ、途中まででいいから、ぼくが眠れるまで歌ってて?……グレミオの歌ってる声…好き………」
そう言って瞳を閉じると、ほどなくして落ち着いた歌声が耳に届いた。その声音の心地よさに身を委ねるうちに、 セフェリスは安らかな眠りについた。

Eo tempore, cum ribi occuri,
Mihi vita laeta fuit.


―――When I met you, I was born.







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