恋を囁く挽歌
-amorous requiem-



この話は、テッドがセフェリスと出会うおよそ150年前から始まる。

巨船で海を駆けた戦争はひとつの区切りを迎え、ソウルイーターの継承者であるテッドは再び放浪の旅を始めた。 しかし、群島解放戦争前とは明らかに異なる点がひとつある。 ラズロの軍に加わって出会った、アルドという心優しい穏やかな青年。 彼はことあるごとにテッドに構いたがり、戦争の終わった今もまた、テッドを追いかけ続けていたのだ。
「テッド君、テッド君。さっきの矢、拾ってきたよ。これ、まだ使えるから」
アルドは、テッドがモンスターを仕留める際に狙いを外した矢をわざわざ拾って、 にこにこと無邪気な笑みを浮かべながら届けに来た。旅路を行く彼らの間には一定の距離があり、 決して“同行”しているわけではないようだが、日に数度はアルドによってこのように声を掛けられ、 ここまでくると殆ど二人旅に等しい。テッドは矢を一応受け取りつつも、青年の笑顔をキッと睨みつけた。
「……いったい何回、何日、同じことを言わせ続ける気だ?ついてくるな。俺にかまわないでくれ」
「でも僕、テッド君のこと気になるし……僕が望んでしてることだから……」
やってることは軽いストーカー行為だが、悪意が無いのが性質が悪い。さほど悪びれた感じのしないアルドの答えに、 テッドの堪忍袋の緒はそろそろ限界に来ていた。アルドに向け、思わず声を荒げる。
「いい加減にしろ!!」
テッドが激昂した原因は、怒りという感情ではない。焦燥だ。このまま傍にいたら、彼は確実に喰われてしまうだろうから。 アルドには紋章の呪いについて既に話してある。だから彼も、身に迫る危険を知っているだろうに。 それを承知したうえでの行為だというのなら、なおのこと忌々しい。
「…もうこれ以上、俺に関わるな。でないと…おまえは間違いなく……この紋章に、殺されるぞ」
そして、その言葉に偽りは無く。ほどなくしてアルドは不慮の死を遂げた。 結局最後まで彼とは親友にはなれなかったが、彼はその後のテッドにとって、特別な存在となり続けた。
彼の死を境に、テッドは風になった。それまでのように無理に意地を張ることもなく、 孤立しようとワザと暗い性格を演出することもせず、泣きたいときに泣き、笑いたいときに笑った。 風のように軽やかに、どこからともなく現れ、小枝を揺するほどの影響を残し、 そのまま何の禍根も残さず通り過ぎる……彼の旅は、まさに風のようだった。
テッドの一生、不老となってから死に至るまでの300年間のうち、彼に好意を寄せてくれた者、 また彼自身が好意を抱いた者は決して少なくなかった。しかし呪いの紋章がストッパーとなって、 深入りと呼べるまでにのめり込んだのは生涯わずか二名のみだった。
「はい。ぼっちゃん、テッド君。今日のお茶菓子、ブラウニーにしてみましたよ」
「ありがとう、グレミオ」
「今日も美味そうだな〜!これだからここに来るのやめられないんだ」
そしてアルドの死から150年。とある昼下がり、マクドール邸の客間での楽しいティータイム。 グレミオの焼いたブラウニーは口に入れるとすぐに舌の上でほどけ、上品で濃厚なチョコレートの風味が胸いっぱいに広がっていく。 まさにプロ顔負けの出来栄えだ。
「うん、すごく美味しいよ」
「本当ですか?ありがとうございます、ぼっちゃん」
セフェリスが手放しで称賛すると、グレミオは慈愛と幸福感に満たされた微笑みを返す。 それは、セフェリスに対してのみ見せる、逆を言えば他の誰に対しても向けない表情だ。 そんな時の彼らの空気は他者に立ち入る隙を一切与えないもので、そのたびにセフェリスをじっと見つめるテッドの視線に、 僅か齢14の少年は気づくことは無かったが。
「……なあ、セフェリス」
「え?なに?」
「ちょっと……話があるんだ。後でおまえの部屋に行ってもいいか?」
何故、あの二人だけにあんなにも恋焦がれてしまったのか……答えられる者は何処にもいない。 本人ですら、溢れ出す感情の源を探る術も、それを制御する術も知ることはなかった。 呪いの紋章が魂を求め続けるというサガを人間が理解し得ないのと同様、人が人を愛するというサガもまた然り。 かの狂王女サロメもかく語りき、

“死の計り難さなど、恋の計り難さ比べれば、いかほどのものであろうか!”

「……ごめん。テッド……ぼく、他に好きな、……」
セフェリスの部屋で二人はベッドに腰をかけ、向き合っていた。
テッドはなけなしの勇気を懸命に奮い立たせ、告白した。自らの想いを、どれだけセフェリスという存在に心を絡め取られているのかを、 どれほど狂おしい欲望を小さな身体に溜め込んでいるのかを。しかしセフェリスの口から返ってきたのは、哀しいかな、拒絶の言葉だった。
「…ううん、そうじゃなくて…ぼくはテッドのこと、親友以上に見れないんだ……」
その刹那、テッドの目の色が、すうっと変容する。
「じゃあ…こうすれば、俺のこと親友より上に見てくれるか?……セフェリスっ!」
拒絶は悲哀よりも先に絶望を呼んだ。絶望は瞬時にして狂気を孕んだ。気が付けば、セフェリスはテッドによって組み伏せられていた。
「やっ……やめて!何を……!?」
急変した親友、狂気を帯びた鳶色の瞳で睨まれて、セフェリスは咄嗟に激しい恐怖を覚える。
「ここで押し倒せば、この身体に深く刻みつければ……俺に対する想いは否応なしに強くなるだろ? …それがたとえ憎しみであっても、俺は全然かまわないから…もっと俺を見てくれよ……!」
セフェリスはあがこうとするが、長年にわたり修羅場をくぐってきたテッドは相手の力が入りにくくなる箇所を的確に押さえており、 にわかな抵抗を許さない。そのまま服をはだけさせ、首筋に吸い付くとセフェリスの悲痛な声が上がった。
「やだぁっ!…グレミオ……っ!」
その名にテッドが反応する。セフェリスの顔を見やると、彼は泣きじゃくりながら弱弱しく想い人を幾度も呼んでいた。
「たすけて…グレミオ…グレミオぉ……」
「やっぱりそうか……おまえの好きな人は、グレミオさんか……。あんな…あんなやつ……!」
テッドはやるせなさに悶え、切なさに震え、怒りに燃えて、セフェリスの服を無我夢中に剥ぎ取りながら、 衝動の赴くままにどす黒い感情を喚き散らした。
「なんで俺じゃ駄目なんだよ!あんなやつのどこがいいんだよ…! 顔に傷はあるし、間抜けだし、無駄におせっかいで、たいして強くもないし、家事くらいしか能の無い、あんな、やつの…どこ…、が………」
声が揺れ、息が詰まり、テッドの動きが止まる。ただ嗚咽を堪える苦しげな呼吸音だけが伝わってきて…… その異変を感じたセフェリスは、ためらいがちに声を掛けた。
「……テッド…?」
テッドはセフェリスの胸の辺りに顔を埋めたまま固まっていた。彼の身体はセフェリスの上に圧し掛かったままだが、 自由を戒める拘束はいつしか完全に解けてしまっている。
「泣いてるの?テッド……」
セフェリスが探るようにテッドの頬から目元へと手を滑らせると、そこは無残なほどに濡れていて。 セフェリスは強かに胸を締め付けられ、もらい泣きのように温かなものが頬を滑り落ちていくのを知覚した。
「…テッド……想いが届かなくて、辛いんだね……もう自分じゃどうしようも出来ないほどの想いを抱えているから、苦しいんだね…… その気持ちは、ぼくには痛いほど分かるよ……」
決して憐れみや同情などではない。ただ、テッドが愛おしかった。グレミオに対する恋心とはまた違う感覚だった。 その愛情にセフェリスは心を委ね、テッドにそっと語りかける。
「…抱いても、いいよ。テッドの好きなようにしていいよ。ほんとはね、グレミオのために大事にとっておきたかったけど……。 でも、いいよ。ぼくの『はじめて』、テッドにあげる」
セフェリスの言葉に驚愕し、テッドが顔を上げる。彼の濡れた瞳を見つめて、セフェリスは儚く壊れそうな微笑を浮かべた。 その微笑みはテッドと同じで、まるで壊れたガラス細工のよう。癒えることの無い痛みを湛えていた。
「だって、グレミオ……いつまで経っても、ぼくのこと弟か息子みたいにしか見てくれないんだもん……」

―――…いいよ。殺されても、いいよ……

テッドは頭を鈍器で殴られたように強い衝撃を感じ、瞠目した。とても、とても、気の遠くなるほど懐かしい記憶に脳を揺さぶられて。 やっと、正気に戻ることが出来た。
「……ごめ、ん…俺……どうかしてた……こんなことしたって、しょうがないのに…な……」
それと同時に、自分がどんなに愚かな行為をしたか思い知って、激しく打ちのめされる。 身を起こして深く息を吐き、涙を拭って、セフェリスにひとつ、懇願した。
「もう二度と馬鹿な真似はしない、誓うよ。だからセフェリス、一生のお願いだ。 …もしおまえが事故か何かで命の危険を感じたら……すぐに俺を殺してくれ……」
「…え……っ?」
どうして、と当然のようにセフェリスが訊くが、その問いに答えるには、今のテッドは傷つき過ぎていた。 結局セフェリスがこのときのテッドの言葉の意味を理解するのは、もうしばらく後のことになる。


さて、ここで時を150年前に巻き戻す。テッドの親友にはなり得ず、親友を超えた存在へと昇華した、もう一人の男の話だ。
「…もうこれ以上、俺に関わるな。でないと…おまえは間違いなく……この紋章に、殺されるぞ」
テッドの渾身の脅し文句にも、アルドは至極柔らかな微笑で返した。テッドの度肝を抜く言葉を、アルドは平然と吐いてみせた。
「…いいよ。殺されても、いいよ。ほんとはね、死ぬのはちょっと怖いけど……でも、いいよ。 テッド君を独りぼっちにしてしまう方が、僕は怖いから……」
「………!」
その告白に絶句しているテッドに向け、青年は次々と言葉を滑らせる。まるで謡うように、朗々と。
「ねえ、みんなはテッド君のこと『陰気な奴』って悪く言ってたけど……ほんとは違うって、僕はちゃんと分かってるよ。 紋章が暴れたりしないか不安だから、人が寄ってこないように、誰とも関わらないように、 強がって、強がって、必死に演技してたんだよね?」
「何を…根拠に」
ほんの少し震えた声でテッドは問う。アルドの紡ぐ言霊は、彼の微笑みは、 テッドが紋章を継承してから150年かけて築き上げた、心身を守るための牙城を崩し始めていた。
「だって、そういう時のテッド君…とても辛そうで、淋しそうだから……」
ガラガラ、ガラガラと、崩落の音が聞こえる。これまでテッドを守り続けていた硬い石壁が崩壊していく、 敏感な裸を晒されていく心細さ。すると壁の代わりに柔らかな羽がテッドを包んでくれた。…アルドの翼だ。
「ぼくもずっと独りだったから…見てられなくて。……最初は同情だったけど、でも今は…今は違うよ……」
けれど翼だと思っていたものは、アルドの肉体そのものだった。いつの間にか、羽にくるまれるように、優しく抱き締められていた。 150年振りに触れた人間の温かなぬくもりは、テッドには残酷なまでに刺激が強すぎた。
「もう自分を偽らないで。明るく元気に生きて。僕が傍にいてあげるから」
そのまま耳元で囁かれると、もう失神するのではないかと思うほど心臓がばくばくと暴走を始めた。 駄目だ、彼を紋章の犠牲にさせない為には突き放さないといけないのに。 駄目だ、泣いてしまってはいけないのに。このまま受け容れたら、アルドは死んでしまう。 なのに、彼の胸の中は気持ちが良すぎて、もう、…抗えない。
「……たとえ殺されたって、ずっと傍にいるからね。君の右手の中で、ずっと待ってるからね……」
「嫌だ…嫌だ、嫌だ!死なないでくれ、アルド…!」
かつてない喪失の予感、圧倒的な恐怖に押し潰されてテッドは泣き叫んだ。 それを宥めるようにアルドは背中をさすり、テッドを抱く腕にいっそうの力を込める。痙攣するほど、強く、激しく。
「うん…できれば死にたくない。もう少しだけ、こうやって抱き締めていたい…愛しくてたまらない君を……」
テッドは子供のようにしゃくり上げながら、堰を切ったように繰り返し想いを謡い続ける。 互いに深く重なったまま、二人はいつまでも離れようとしなかった。
「アルド…好きだよ……好き…好きだ……」
けれど想いが通い合ったのはほんの束の間。死の翼は無慈悲にも舞い降りた……




セフェリスが、また泣いてる
オデッサさんが死んじゃったって、
グレミオさんが死んじゃったって、
テオさまも死んじゃったって……
ごめんな
おまえのそんな顔
絶対見たくなかったのに
『一生のお願い』をし過ぎたから
神様が俺にバチを当てたんだ
セフェリスが、まだ泣いてる
今度は俺の目の前で
なぁ、もう泣かないでくれよ
俺なんかのために泣かないでくれよ
俺は俺に出来ることをしただけなんだ
後悔してないよ、思い残すこともない
でも…最期にこれだけ伝えなきゃ……


「紋章なんかに、負けるなよ。」















―――お疲れさま。がんばったね、テッド君!



…なんだよ、おまえ…ほんとにずっとまってたのかよ……
おまえって、ほんとばかだな……
ほんとに、ばかばっかりだな…みんな……
ばかなセフェリス
ばかなグレミオさん
ばかなアルド

あぁ……おれってさ、ほんと…ばか…だな………







-あとがき-
まず、わたしは幻水4をやったことがありません(平伏)。
なので原作と異なる点、至らぬ点が多いかと思われます。
何せ2日で全部作りましたので……。
看過できないほど酷い箇所があったら、こっそり教えてくださいませ(笑)。
幻水4について調べたら、「アルドは親友にはなれなかった」と書かれてありまして、
なら、親友以上になったということでよろしいか。と履き違えた結果がこれです。
プレイしていないゲームのお話を書くのにはやはり引け目を感じますが、
情報が少ないゆえに、かえって発想の幅が広く取れた感も否めませんね。


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